ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

グランデで華麗なベートーヴェン『荘厳ミサ曲』by 鈴木雅明

私にとっては今シーズン最後となるSSO(シンガポール交響楽団)のガラ・コンサート、鈴木雅明指揮、ベートーヴェン「荘厳ミサ曲」を聴いてきました。

 

「ミサ曲」というと私がすぐに想起するのは、モーツアルトのハ短調ミサ曲。名曲です。クラシックでどれか1曲を選べ、と言われたら、これか、ショスタコ―ビッチかマーラーの交響曲かバッハの無伴奏パルティータか、というくらいの名曲中の名曲で、教会音楽の最高峰だと私は信じて疑いません。

 

さて、私が昔カトリック教会に通っていた頃はまだ典礼ミサ曲でミサが行われていたため(最近はどうも違うらしいですがよくわからない)、「キリエ(主よ憐みたまえ)」とか「グロリア(天には神の栄光、地には平和)」とか、ラテン語で歌われてもそのまま頭の中で日本語に変換されます。

 

なので、ハ短調ミサのように、静かに祈るようなソプラノが「キリエ、主よ憐みたまえ」と朗々と歌い上げるのはとてもしっくりきます。グレゴリオ聖歌ならもっとぴったり。やっぱり教会音楽ですから。

 

しかし、これは違いました。いきなり「神の栄光、ホザンナ!」と大声で叫んでいるようなキリエ。憐れまれてないじゃん。

 

あの第九とほぼ同時期に書かれたこの曲。ベートーヴェン、とうとうおかしくなったんじゃないかとまったく評判はよろしくなかったそうです。わかる、どこをどう聴いてもまったく教会向きじゃない。

 

しかし、他の指揮者と鈴木さん指揮の荘厳ミサが違うのは、この最初から最後まで叫びっぱなしのようなミサ曲がグランデで華麗なところ。カラヤンのも聴いてみましたが、どうもやたらと重々しいだけで華やかなところがあまりないのに対し、鈴木さんのは「これって『皇帝』だった?」と思わずもらしそうになるくらい、全身で神を賛美しているような演奏なのです。

 

長年鈴木さんのバッハ・コレギウム・ジャパンを応援している友人によると、やはり鈴木さんの解釈は独特のようで、オリジナルの演奏に近いんじゃないか、だそう。うーん、やはりそうであったか。ベートーヴェン反逆児だしなー。

 

その理由の一つは、鈴木さん自身が改革派のクリスチャンであるところも大きいんじゃないかと思います。通りいっぺんの宗教音楽の解釈ではなく、神とは何者か? そして自分は神の前で何を思うのか? という問いまで演奏の中に入っているのではないかと感じました。

 

1時間半、あっという間でしたが機会があったらまたもう一度聴きたいです。

 

バッハ・コレギウムのCD買ってサインしてもらおうと画策していたのですが、コンサート開演前にCDが完売してしまったというのであきらめました。すごい人気。残念でしたが代わりにポスターの前でポーズ。次にここに来るのは10月の予定です。