ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

クリスマスに考える。コロナ・ワクチン接種は誰の為か?

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一族郎党すべからくキリスト教徒であるシンガポールの我が家では、クリスマスイブを義妹の家に集まって祝うのがここ数年来恒例行事となっている。老齢の義父母や大勢の甥や姪に囲まれて持ち寄りの料理を食べたりおしゃべりを楽しんだり。昨年からロンドンで音楽を勉強している甥っ子も去年は帰省して、だいぶ認知症が進んだ義父が吹くハーモニカに合わせてピアノを弾きハープを奏でた。

 

しかし今年は様変わり。コロナ規制で自宅に親戚や友人を呼ぶのは5人までと人数制限が設けられたため家族全員で集まるのは不可能。ロンドンの甥っ子も帰省はならず、SNSでメッセージを交わす他は各家庭でばらばらに過ごした。国内コロナ感染鎮静化に伴い28日からいろいろな規制が緩んで旧正月にはもう少し大人数で集まることができる予定だけれど、新たに発見された新コロナ株の感染拡大動向によってはこの決定も覆されない。実際、今月頭にはシンガポール⇔香港間で検疫期間を設けない旅行自由化が実施されそうになったが、香港での感染増加を受けてぎりぎりでキャンセルされた。

 

そんな状況下で本年我が家の唯一のクリスマス・イベントは、駐在員としてシンガポールに滞在中のキリスト教徒の友人を招き、私の母教会(洗礼を受けて初めてメンバーになった教会のことをこう呼ぶ)のクリスマスイブ・キャンドル・サービスのネット中継を観てクリスマスを祝うこと。高齢者の信徒が多い東京の母教会ではもう半年以上日曜日の礼拝は少人数の招待制にしていて、礼拝のネット中継も始めた。そして例年なら信徒でない人々も集うキャンドルサービスも、今年はリアルはシャットアウトして完全ネット中継になったのである。

 

教会員の皆さんがこの日のために練習してきたトーンチャイムやハープ、トランペットにパイプオルガンなどの曲にのせてクリスマス・メッセージが日本から遠く離れたここトロピカル・アイランドまで届けられ、礼拝後のディナーは日本の教会の友人たちとWhat'sApp(LINEみたいなもの)でつないで実況中継でおしゃべりしながら食べたり飲んだり。初めてのクリスマス・イブの過ごし方だったけれどなかなか楽しめた。これも情報技術の進歩とボランティアで礼拝中継をしてくださった母教会の皆さんのおかげである。

 

では来年もこんなクリスマスを過ごしたいか、と聞かれたら、答えは間違いなく「NO」だ。

 

80代後半の義父母はコロナが流行し始めて以来、極力外出を控えている。輸入感染者以外ほぼ感染者がいなくなった現在でこそ孫たちに会ったりもしているが、限られた人生の時間の中で子供や孫たち全員が集まって同じ食卓を囲むクリスマスディナーのチャンスが一度でも減ってしまうのはたいへん悲しいことだ。

 

同じことは教会の年上の信徒の方々にもいえる。東京の母教会でもシンガポールに来るまで夫と通っていた故郷の教会でも友人の北海道の母教会でも、高齢者の信徒のほとんどは感染を恐れて礼拝に出席していないということだった。彼らの中には伴侶を亡くされて独り暮らしの方々が少なくなく、週1度の礼拝出席だけが唯一人とゆっくり話す機会という方も多い。彼らは買い物もできるだけ空いている店で手早くすませて一日中誰と話すこともなく家に引きこもらざるを得ないのだ。

 

高齢者でなくても何らかの既往症がある人たちも同様だ。私の友人の中には抗がん剤治療を受けていて通院以外は外出を避け誰にも会わない日々を送っている人がいる。癌の進行の恐怖と闘いつつ、同時にコロナ感染防止のために常に細心の注意を払わなければならないというのは想像を絶するストレスだと思う。重症化リスクが比較的低いといわれる50代、60代でもこういう方々の数は少なくないだろう。

 

世界の大多数の国で人々の行動の自由をがんじがらめに縛っても守ろうとしているのはこのような方々の命である。若くて健康な人たちがたとえ「自分たちは感染しても軽症で済むから問題ない」と言ったとしても同じ規制で縛られるのは、彼らが感染することにより重症化リスクの高い人々への感染リスクが高まるからである。いくら自分は感染してもよい、と考えても、感染した本人が他人に感染させる加害者になってしまうから許されないのだ。

 

いっぽうで重症化リスクの低い若くて健康な人たちの中には、規制によって職を失ったり収入が激減したりしている人もいる。シンガポールで私が商品を卸していたある大型観光施設のみやげもの店でも観光客がほぼゼロになったため、派遣の販売員は全員いなくなり正社員も施設保全など他の部署に配置換えされて勤務日数も給料も減った人が多い。私の商品も納品にストップがかかって売上がゼロになった。

 

彼らにも私にも生活があり養わなければならない家族がいる。俳優トム・クルーズが英国の撮影現場でコロナ規制の規則を守らなかったスタッフに怒鳴る音声を聞いたが、「(コロナ禍で)解雇された人たちとその家族のことを毎晩寝る前に考えてるんだ」という言葉に胸が痛んだ。このような方々にはいろいろな補償や転職支援の対策がなされているのだろうが、それでも決して元通りとはいかないのが実情である。

 

そのような状況下にあって、現在の私たちの唯一の希望はコロナ・ワクチンだ。

 

先々週からは世界に先駆けてイギリスでファイザー/バイオンテックのワクチン接種開始。アメリカもこれに続き、今週はバイデン次期大統領が接種。シンガポールでもリー首相が「真っ先に接種を受ける」と表明している。世界のすみずみまでワクチンが行き渡るにはまだ相当な時間がかかるのだろうが(シンガポールでは全員接種完了目標を2021年第三四半期としている)、重症化リスクが高い人から順番に接種をしていけば規制も徐々に緩和できるだろう。

 

日本ではやっとファイザー/バイオンテック製ワクチンの承認試験が始まったところだそうだが、ある調査によると積極的にワクチン早期接種をしたいという医者が1/3程度しかおらず、一般の人の中にも「まだ安全性が担保されていないので受けたくない」と考える人が少なからずいると聞く。「高齢者がコロナで寿命が全うできるならそれでよい」と断言する人までいるそうで呆れるを通り越して顎が外れそうになる。

 

日本国憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。

 

高齢者であろうが重大な既往症があろうが、彼らを生命が脅かされるウィルスから保護するのは国の責務であり、それにより職や収入を失う人がいたらその補償をするのも国がすべきことだ。このような非常時に相互に扶助すべく、私たちはせっせと国庫に納税してきたのである。

 

まだ100%効果や副作用が確認されているとは言い難いワクチンを私たちが積極的に接種すべきなのも同様の理由からだ。感染の連鎖を阻止する集団免疫を獲得するためには重症化リスクが高い人はもちろん、自分はかかっても大丈夫と考えている人も含むより広範な人へのワクチン接種の必要がある。コロナ・ワクチン接種は自分のためではなく、自分が所属している社会のためなのである。

 

キリスト教ではイエス・キリスト生誕日であるクリスマスを人類が闇から救われ光へ導かれることになった日であると考える。クリスマスの今日、コロナで始まりコロナで終わる2020年を振り返って、このワクチンがコロナ禍という闇から私たちを救う光となるよう、そして人々が進んでその光を灯すよう祈っている。