ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

源ちゃんはいつだって優しかった。~ 追悼:橋本治

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1月29日の訃報に接してから、ずっと橋本治さんの著作を読み続けています。

 

日本に戻れば自宅に紙の本がたくさんあるのですが(シンガポール移住の際に本の大半は処分したのですが、橋本さんをはじめごくごく少数の著者の本だけは手放せず残してあります)、手元のKindleに入っているものだけでもとても数日では読み切れません。

 

橋本さんの訃報には必ず「『桃尻娘』の著者」という枕詞が添えられていましたが、『桃尻娘』が小説現代新人賞の佳作に選ばれたのは1977年のこと。40年以上も前のデビュー作であり、その後の膨大な数の著作活動を考えると「いまさら『桃尻娘』はないだろう」感じたのですが、それだけこの小説が斬新で一般の印象に強く残るものだったのでしょう。

 

偶然ですが、私はこの小説の最初の読者の一人です。当時父が小説現代を購読していて居間に置いてあるのをたまたま読んだのです。当時私は中学生で、主人公をはじめ主要登場人物は高校生。ちょっとだけ年上の主人公のモノローグの展開は、それまで現代文学といえば、北杜夫や星新一や筒井康隆など父と同世代以上の作家たちの本しか読んだことがなかった少女には腰が抜けるほど新鮮でした。

 

たぶんその数か月後だと思いますが、小説現代のグラビアに作者の橋本治さんが自分で編んだセーターを着て登場していました。顔や雰囲気はとび職のお兄さんみたいでしたが、写楽の絵やデヴィッド・ボウイの顔つきのセーターの数々に圧倒され、さらにファンになります。

 

が、新作はなかなか出ない。少女漫画批評の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(これで大島弓子がぐっと身近になりました)くらいしか書いてくれない。しかし私が大学に入って辛抱強く待っていると、桃尻娘は若干遅れて同じ大学に入学してきてくれるし、少しずつですがいろいろなジャンルの雑誌でも橋本さんのエッセイを目にするようになってきました。ちょうど私が雑多な雑誌を読むようになったのに合わせてくれたかのように。

 

桃尻娘シリーズは新作が出るたびに読み続けて、登場人物たちは私にとってほぼ実在の同級生たちみたいな存在になってしまったけれど、その中でも一番好きだったのがオカマの源ちゃん、瓜生小僧の木川田君です。

 

源ちゃんは作者自身の投影なんだろうなーとずっと私は感じていてたぶんそれは正しいのですが、冒頭の写真の『恋愛論』はそんな橋本さん自身の恋愛体験について話していることをまとめた本です。決していわゆるハッピーエンドではないのですが、人を好きになるというのはこういうことで、必ずしもハッピーエンドにならなくてもよいのだ、と教えてくれます。

 

『桃尻娘』シリーズや『恋愛論』にも共通しますが、橋本さんの小説にも評論にも、すべてに共通するのは悩んだり行先に迷ったりしている同時代人たちに対する温かい眼差しとどこまでも優しい言葉。

 

源ちゃんや人生相談の相談者たち同様、同時代の日本社会で生きにくさを感じながらもそこで生き続けていくことを余儀なくされている私たちに、「こう視点を変えてみれば少しはラクになるかも」というアドバイスを送り続けてくれたのだと思います。

 

バブル時代に「この状況はなんかおかしい」を実証しようとして巨額の借金を抱えてしまい、亡くなる直前までその返済のために癌や難病と共生しつつ膨大な量の原稿を書き続けてきた橋本さん。「私生活なんかない」と本人が言っているように、書くことだけにすべてを捧げた橋本さんの仕事のおかげで、私を含めた大多数の読者たちが少し癒され、少し元気を出し、少しずつ年を重ねてこられたのだろうと思います。

 

つい最近『九十八歳になった私』を読み終えて、「橋本治が98歳まで生きててくれるんだからまだまだ私も大丈夫だな」と安堵していた矢先の訃報は本当にショックでしたが、すでに読んだことのある著作を再読してもその言葉は常に新鮮ですし、『双調 平家物語』はじめ未だ読めていない本もたくさんありますので、これからも死ぬまで橋本治の著作を読み続けたいと思います。