ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

『森瑤子の帽子』島﨑今日子著 ~ 決して満たされない女の飢餓が時代を作った。

 

 

島﨑今日子さんのノンフィクションを読むのはこれで2冊目。『安井かずみがいた時代』も大変な力作でしたが、この本は森瑤子という主人公が小説家で、しかも創作活動期間15年というわずかな年月の間に100冊以上という膨大な作品を残していること。そのため、本書の至る所に彼女を直接知る人たちの言葉のみならず、彼女自身の言葉が散りばめられていて、前作よりさらに読み応えがありました。

 

いつもながら著者の取材力には完全に脱帽。前述のように作家自身の手による膨大な資料を読み込んだうえで、一つの出来事についてさまざまな取材対象者からそれぞれ違う視点からみた話を引き出し、何層ものレイヤーを作るように多面的な人物像を再構築する手腕にはただただ驚嘆するばかりでした。

 

6歳から練習を続け芸大のヴァイオリン科まで卒業しながらきっぱりと音楽の道を断念。広告代理店で時代の最先端をいくテレビ広告制作の仕事をし、後に各分野で活躍することになる綺羅星のような友人たちに囲まれて刺激的な日々を過ごした青春時代と婚約までしながら悲恋に終わった恋。

 

まだまだ経済発展途上だった時代の日本で、ヨーロッパ式の優雅なライフスタイル(週末を過ごす海辺の家、夏を過ごす軽井沢の別荘、手作りの英国式の料理等々)。完璧なマナーと本場仕込みの皮肉の効いたユーモアをもつイギリス人の夫と3人の美しい娘たちに囲まれ、傍目には誰もが羨む人生を送りつつも、妻であり母であることがすべての毎日に満たされない鬱屈を抱えていた主婦時代。

 

そして38歳で『情事』で主婦作家としてデビューしながらも、芥川賞や直木賞といった文壇の賞と名声には縁がないまま漂流。今をときめく流行作家としてカナダに島を買い、与論島に1億円の別荘を建て、ミンクのコート、ダイヤモンド、ローレックスの時計をまとい、大きな帽子を被ってゴージャスに暮らす自分自身のイメージを切り売りしつつ、加速度的に悪化する家族との葛藤を抱えながらガンに体を蝕まれるまで書きまくった小説家時代。

 

どこまでも真の自分自身を探しながら、認めてもらいたいのにありのままの自分を曝け出せず、また、受け入れてもらえずに自分を追い詰めていった結果、あまりにも若すぎる52歳という年齢でこの世を去った作家の儚さと、どこまでも夢を追いかけても満たされない1人の女性の飢餓感を書ききった秀作がこの一冊だと思います。

 

いっぽうで同じ筆者の手による、森瑤子と同時代に生きた安井かずみの世界を描いた『安井かずみがいた時代』でここまで重層的な人物像が表出してこなかった理由は、ひとえに家族との葛藤の欠如であると思います。

 

安井かずみには加藤和彦という一筋縄ではいかない関係性を抱えた伴侶こそいましたが、そこに子供という家族はいなかった。ただの男と女というだけではなく、子どもを挟んだ父と母という側面があったことが、森瑤子の夫との関係をより複雑にし、さらに子供たちとの関係性が自身の両親との関係性や引揚者としての生い立ちにまで遡って語られます。

 

二人とも超売れっ子時代に、森瑤子がシャネルが好きだ、と言った際、安井かずみが、シャネルの店でラック買いして初めてそういうことを言っていいんだ、と異議を唱えたというエピソードにも、現実世界から乖離したフィクションの世界だけで一生を終えた彼女と、自分が創作したファンタジーに生きながら最後まで家族を捨てきれずフィクションに徹することのできなかった森瑤子の違いがよく表れているように私には思えます。

 

 

冒頭の山田詠美から、最終章の主婦時代からの親しい女友だちの証言まで。森瑤子の人生はたった52年という短さにもかかわらず、さまざまな場面に彩られ、さまざまな人々が登場します。そして誰もが口々に彼女の人柄の良さを述懐。

 

山田詠美、当時角川書店社員だった現幻冬舎社長の見城氏と編集者石原氏とともに、最期まで森瑤子とのプライベートな交流を続けた作家の五木寛之はこう述懐します。

 

僕はね、森さんを見てると、シベリアの農婦を思い出すんですよ。本当はもんぺが似合いそうな人だった。手首が太いし、身体もごてっとしていて、しかも生活力があって逞しくって。実際には非常に生真面目で質朴で、誠実で、どちらかというと泥臭い。野暮な人でした。決して悪口ではなくて、僕はそこが好きだったんですよ。 

 

作品に描かれた都会的で洗練された登場人物や、彼らと同一視された作家本人とはまったく違うこのイメージこそ、同じ作家という職業の五木氏が鋭敏に嗅ぎ取った森瑤子の本質だったのではないでしょうか。

 

そして、そんな自分自身から逃れよう、脱皮しようとしてもがき続けた結果があの夥しい量の作品群だったのかもしません。

 

そんな彼女の遺した仕事について、五木はこうも語ります。

 

文学も音楽も芸術というのは一回性のものだというのが僕の考え方で、記憶に残らなくても、その時代の人々の記憶に残ればいい。その記憶も読者が年老いて亡くなってしまうと消えてしまう。森さんが同じ時代に生きた人に与えた一回性の感動というのは、古典のそれの百倍くらいはあったと思う。インスパイアされた読者に焼き付けられた森さんの存在ってすごいものでした。森瑤子という名前が醸し出すものは、ひとつの時代の象徴だったから。

 

往時には街の本屋の棚の一段を埋め尽くしてしまうほどの人気を誇った森瑤子の著書も、現在では古本屋でたまにみかける以外には滅多に見ることがなくなりました。ちょうどあれほどの人気歌謡曲だった安井かずみ作「わたしの城下町」を耳にすることがなくなったように。

 

時代が変わり、人が変わり、作品の価値も変わっていく。でも、決して変わらないのは、その時代に、そのときに、その人が体験した人や作品との出会いであり、その小さな積み重ねが時代という大きい潮流を作っていくのだと思います。

 

あの時代を追体験するために、また森瑤子の作品を読み返してみたいな、と思いました。