ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

『先生、ちょっと人生相談いいですか?』修羅場を超えた先に見えるもの

瀬戸内寂聴x伊藤比呂美、という現代きっての人生相談の名手がそれぞれの人生と人生観(お互いにかなり近い)を語った対談集。久々にこれほど強烈な本を読みました。

 

どのくらい強烈かというと、

 

ウルトラ・ヘビー級の強烈さ。

 

そもそも1人だけでも数百人かかっても倒せないくらいの重量感なのに、それが2人。しかも42歳でヌード撮影した比呂美先生と、88歳でアラーキーにヌードを撮ってもらっておけばよかったと悔やむ寂聴先生です。

 

ベストセラー処世術本にありがちな、うわべをなでるきれいごとではなく、人が人として、生々しく実体をもって生きることの本質をこれでもかと畳みかけてくれます。

 

とにかくこれだけハンサムなお2人ですから、文学でのお仕事の業績はもちろん、恋愛関係の武勇伝もすさまじい。

 

寂聴 比呂美さんって結局、何回も結婚してるし、間があいたことは一回もないのね。男がいないっていう時期が。からだの関係もずぅーっとあるのね。

比呂美 ああ、そういえばそうですね。男がいない時期は……なかったですね。男がダブる時期っていうのもあったけど、セックスはひとりと決めてた感じ。

寂聴 それはどうして? 精神的にふたりとは、できないの。

比呂美 どうしてでしょうね。なんかいやなんですよね。そういう先生は同時にいろんな男と、ってことはありました?

寂聴 私? いつでも男いたわよ。同時も。

比呂美 え。ということは、同時にセックスできたんですか・

寂聴 した。別々にすることだもの。それは。

比呂美 じゃあ、罪悪感って……?

寂聴 (さえぎるように)三人で、したことはないわよ。

比呂美 あー、あははは。いつも一対一だったと。でも相手に悪いなっていうのは……?

寂聴 どうってことない。だってここでして、また別のとこで別の男と……って。そばにいるわけじゃないんだから(笑)。

 

と、この調子。そして2人にかかれば偉人も形無しです。

 

日野原重明医師 → 女々しい。

作家 森鷗外 → スケベ。

作家 大庭みな子 → 夫が奴隷。

 

と、彼女たちが満身創痍の人生から導き出した判断基準で容赦なく批評(でも愛はある)。

 

逆に限りなく温かい視線を注ぐのは、バッシングされたり、親から愛されなかったりする弱者たち、そしてこれまでの人生で出会ってきた男たち。ご自分たちの鬱の乗り越え体験も交えながら、語ります。

 

不倫や事件などでマスコミに叩かれる人たちについては、自分たちも含め、普通の生活を送る人と紙一重であり(私もまったくそう思います)バッシングがひどすぎる。

 

毒親については、親など反省しないのだからどんどん捨てて逃げてしまえばいい(できれば男と一緒に)。

 

そして、別れたり死別したりした男たちについては、「つまらなかった」「嫌な男だった」と酷評しながらも、最期まで世話をして看取ったり、今も気にかけていたりする様子を淡々と語ります。

 

男たちとの恋愛や結婚の修羅場を何度もくぐり、それは時には自分自身の子供たちの人生をも否応なく変えてしまうほどに荒々しいもので、彼らを犠牲にした業を背負い、深く後悔しながら生き続けていく覚悟にもただただ頭が下がります。

 

そして最後は死ぬことと書くこと。

 

尼僧ながら、最後は無と何度も言い切る寂聴先生。だからこそ生きている間に何をおいても仕事をするのだとお二人。

 

この神々しいまでの潔さと文学にかける無尽の熱意こそが、この対談の中にずっと流れているために、この本が対談には珍しい真摯で深淵な人生論になっているのだと思います。