ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

書評:橘玲著『もっと言ってはいけない』~ IQの高さと社会的成功は正比例?

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大きな反響を呼んだシンガポールの芝居「ノーマル」。小学校卒業試験の結果「ノーマル」コースに振り分けられた少女たちの悲劇を描く。

『言ってはいけない』シリーズの2作目。

 

前作が面白かったので期待して読んだのですが、事実誤認も含めて(ある程度は仕方ないとしても)残念なところが目立ちました。

1作目。こちらはたいへん興味深かったです。再度読み直してみましたが、やはりこちらのほうが知的好奇心を刺激されます。

なぜ2作目が残念な結果に終わったのか、私自身の経験も交えながら考えてみたいと思います。

 

1.学力優秀な人が専門職として成功を収めるのと、真のイノベーターや起業家が成功するプロセスも内容も違うが、どちらも社会的成功とひとくくりにされている。

 

本書では日本人や中国・韓国人など東アジア系の人々の遺伝子の中に、内向的かつこつこつと勉強するような努力型遺伝子をもつ人が多く、そのためアメリカでは東アジア系の移民やその子孫に弁護士や医師などの高学歴専門職として成功する人が多いとしています。確かにこれは真実でしょうし、加えて「タイガーマザー」など教育に非常に高い価値を置く東アジア文化の影響(環境要因)もあるのでしょう。

 

いっぽう、世の中に圧倒的なインパクトを与えるイノベーション型の天才には、このような類型に当てはまらない人が少なくありません。アインシュタインは工科大学受験に失敗するほど劣等生でしたし、スティーブ・ジョブズも大学中退。ヴァージン・レコード&航空の創立者のリチャード・ブランソンに至っては、ディスレクシア(難読症)で高校中退です。

 

確かに高級官僚や高給の専門職には前者のようなタイプが多いかもしれませんが、平均的な人々を凌駕する圧倒的なボリュームのお金や影響力をもつ社会的成功者たちには、むしろ学生時代の学力など関係ない人々のほうが多いのではないかと感じます。

 

さらに言えば、知的専門職よりも金銭的な成功を達成しやすく、かつそこそこ数が多いのは、中小企業も含めた企業経営者です。私もずっと経営者をしていますのでよくわかりますが、経営者としての成功不可欠条件に学歴は入りません(サラリーマン経営者は別)。もちろん勉強家の方は多いですが、それはあくまで仕事の専門分野に関することで、有名大学入学や狭き門の資格試験に合格するための受験勉強は彼らにとってはまったく無意味なのです。もしどうしてもそのようなスキルが必要であれば、自分で勉強するよりそういう人を雇ったほうがいい、というのが経営者の発想です。

 

この区別が本書の中ではきちんと整理されておらず、知能が高い→学力が高い→社会的成功、という図式が大前提になっているところが私には一番の疑問でした。

 

2.そもそも知能テストで測定できるIQとは何か?

 

私の前職ではスタッフ採用の際の筆記試験に、簡単な敬語や計算能力などをテストする一般教養テストの他、市販の知能テストや性格テストを利用していました。知能テストは、自分でもやってみたことがありますし、20年近くの間に数百人の人たちの試験結果もみてきました。その結果いえるのは、知能テスト≒学習能力が高いかどうかをみるテストだということです。

 

例えば、2つの文を読んで差異や共通点を探す、とか、立体図形の展開図を選ぶとか、とにかく意識を集中して問題を読み、短時間に機械的に同じ回答作業を繰り返していく、というのが基本。途中で文章の続きを考えてみたり、正解と違う展開図からその形を想像してみたりと余計なことをするとすぐに時間がなくなり、がくんと成績が落ちます。

 

これはまさしく、詰め込みの受験勉強に対処するやり方と同じで、想像力や創造力はまったく必要とされず、言われた通りに作業を遂行する秀才は選別できても、これまでの常識を打ち破るイノベーションを起こす天才型の才能は決して捕捉できません。

 

いっぽう、Wikiによると、知能テストの元祖ともいえるビネー法をアメリカで標準化したスタンフォード・ビネー法開発者ルイス・マディソン・ターマンがこの試験を行ったところ、本書で言及されるような人種間による有意な得点差が認められたが、同時に男女間でも差が開き、女児のほうが男児より得点が高かったといいます。

 

ターマンは男女差はテストの不完全さに起因するとして得点の修正を行ったが、人種間ではただの事実と考えて修正しなかったそうです。まるでどこかの医大の入学試験のようでありますが、真面目なこつこつ型を知能テストによって選抜試験したら、女性のほうが圧倒的に成績がよいというのは、スタッフ採用に常に頭を悩ませている経営者だったらほぼ誰でも異論はないと思います。

 

では、女性のほうが男性に比べて平均的に頭がいいのか? たいへん残念ですが私はそう思いません。本書で事実とされる人種間の知能格差についても同様です。

 

男女間の差異という問題について、橘氏は男性のほうがばらつきが多い「標準偏差」が大きい、つまり平均より能力が高い人も低い人も男性のほうが多いという説明をしていますが、ここで紹介されている表を見るかぎり、明らかに平均をとったら女性のほうが知能テストの結果はかなり高くなるはずで、それについてのクリアな説明はありません。

 

人種間では何ポイント高い、低いというような詳しい説明があるのに、この点の説明が不十分なのは、あえてそこを論点にするのを避けているのではないかと疑います。

 

3.AI時代に生き残る地頭の良さとは何か?

 

1で例として挙げた3人に共通する点があります。それは、3人ともADHD(注意欠陥多動性障害)が疑われているということです。

 

我が家の娘も重度のADHDなのでよくわかるのですが、彼らには自分が興味のないことには集中できないという共通した特徴があります。ですので、このような人たちに上記の知能テストをやらせたらどういう結果になるか、火の目を見るより明らかでしょう。彼らは自分にとってどうでもいいことには全くといっていいほど無関心なのです。

 

娘の場合、もちろん学校の成績は悪く、テストを受ければ得意の英語でも合格ぎりぎりでそれ以外はすべて赤点。というのも、ほとんどの場合、途中で回答を放棄していて(たぶん何か別のことを考えている)、読解問題に至っては問題文を読んでさえいないらしいのです。

 

何でこのような態度をとるのか? 以下は、あるシンガポール人の女性が息子のADHD的特徴を書いたもので、非常に的確に彼らの性向を説明していると思います。

No sense of time 時間の感覚がない

Instant gratification – cannot wait 欲求をすぐにかなえたがるー待つことができない

Procrastination of things he dislike 嫌いなことをぐずぐず引き延ばす

Hyperfocus on things he likes – greed n never ending demands 好きなことに夢中になりすぎる-貪欲さと要求に限りがない

No focus on things he hates even if necessary 嫌いなことは必要だとわかっていても気にかけない

Tantrum – strong reaction over rejection due to poor emotional regulation. Strong – meltdown. Extreme. Impulsive behaviour with no logical or regard of consequences 癇癪ー感情コントロールが下手で拒絶されることに強く反応する。行き過ぎると自壊。過激。論理的でなく後先を考えない衝動的な振る舞い。

Strong eg violence, suicide エスカレートすると暴力や自殺につながる

Day dream 空想にふける

Cannot focus on studies 勉強に集中できない

Creative 創造的

Can talk things out of the blue cos mind is thinking of other unrelated stuff 頭の中でまったく関係ないことを考えているため、唐突に何かについて話し始める

Poor organised 頭の中がきちんと整理されていない

Messy 乱雑

Poor handwriting 字が汚い

No logic 論理性に欠ける

 

 

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 このように、ADHDの子どもの多くは知能テストにも学力テストにも、まったく興味も適性もないのです。

 

しかし、では、彼らの地頭が悪いかというと決してそうは思えません。

 

うちの娘の場合、ちゃんと聞こうという態度のときには小4には難しい概念もかなり理解しますし(その気がない場合には何をいっても「わかんない」ですませようとしますが)、創造性ということでいえば私などよりずっとクリエイティブだと感じることが多々あります。特に自分が好きなことになると、何時間でも集中してのめりこみます。

 

ADHDを告白した勝間和代さんのブログを読んでも思うのですが、ADHDの人々はこだわり始めるととにかくしつこい(おそらく自閉症の方も同じではないかと思います)。自分たちにとってどうでもいいことは無視し、徹底的に自分が気になる事柄にしつこくこだわった結果として、イノベーティブな創造性が産まれてくるのではないかと想像します。

 

正解があらかじめ定められているルーティンの課題を黙々とこなして着実な成果を残していく秀才型の頭の良さと、ADHDの人々にみられるようにしつこく一つのことにこだわり続けてこれまでにない新たな方法を見つけ出すという頭の良さを比べて、どちらが地頭がよいかといえば、知能テストで白黒つけることは困難ではないでしょうか。

 

特にこれからのAI時代、前者のような作業はいずれすべてAIがやってくれるようになります。コツコツ型の秀才が得意な、長時間の退屈な暗記作業が要求される語学学習さえ今後は必要なくなるでしょう。(語学はやはり自分で習得しなければ本当の意味はわからないというような人がいますが、では映画をその言語で理解できなければ観てもわからないのか、といえばそんなことはないはずです)

 

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その他にも、「広東語や福建語、上海語は普通語(北京語)の方言ではなく、分法からまったく異なる」という箇所は明らかに事実誤認ですし(基本的な文法は同じなのでどれか1つできれば他の方言の取得は比較的容易)、中国南方でも知能が高いのは科挙のせいという記述もありますが、中国以外の台湾、香港や東南アジアの政治・経済界で成功している華人には客家が非常に多く(シンガポールの元首相リー・クワンユーやゴー・チョクトン、タイのタクシン元首相等々)、広東や福建系の客家でも基本的には北方人です。これを確かめるにはハグしてみるのが一番。同じ華人でも北方系と南方系では骨格がまったく違います。

 

『言ってはいけない』シリーズでは、人間の能力のほとんどを遺伝と進化で説明しようとしてムリをきたしている感があります。遺伝はもちろん無視できないほど大きいファクターではありますが、人間の脳というのはとてもそれだけでは説明しきれない無限の可能性を秘めていると私は考えています。

 

実際に私が経験したことですが、大学受験の際、志望校が次々に不合格になってしまい、最後の受験校であった早大受験の前に苦手科目だった日本史を必死で勉強しました。この時、火事場の馬鹿力で、当時使っていた山川出版社の日本史の教科書、副読本、年表の3冊を、5日ほどの間にすべて丸ごと覚えてしまったのです。

 

試験当日、問題を解いていて圧倒的に不思議な感覚に襲われたのをよく覚えています。どの問題を読んでも、その回答が書いてあるページがまるでプリントされた写真のように目の前に浮かんできます。何Pの欄外の注の2番目に書いてあった、ということまでわかりました。結果、当日の日本史の試験結果は満点だった思いますし、実際に合格もしました。

 

その後このときに覚えた記憶はすべてなくなり私は本来の姿である凡人に戻りましたが、この不思議な体験をしたことにより、人間の知能や脳の働きについて、単なる類型で片づけられるものではないということがよくわかったのです。

 

これからのAIが人間の能力を軽々と凌駕してしまう時代に向けて、自分の娘にどのような教育を与えればいいのか、どのように育てたらいいのか、という問題には多くの他の親御さんと同じく、私や夫も悩むところです。カンボジア生まれの我が娘の場合、東アジア型の遺伝子はもっていないかもしれませんが、恐らくその遺伝子に支配されている夫(客家系華人)や私よりよほど素晴らしい才能をもっている可能性は決して低くありません。

 

シンガポールでは昨日、長く続いてきた小学校卒業試験の点数による中学のコース振り分けを終了し、新しい制度を作っていくことが発表されました。次期首相候補に内定したヘン財務大臣が文部大臣時に「Every school is good school」という標語で教育の多様性を重要するキャンペーンを展開しましたが、今後はさらに主要教科の学力テストの点数にしばられない評価方法に移行していくと考えられます。それはすなわち、国民の能力以外には頼るリソースが何もないシンガポールの国としての生存をかけた決断でもあるのです。

 

今後の社会でAIに淘汰されずに生き残っていくための能力を身につけるにはどうしたらいいのか? それは決して生まれもった遺伝子から考えて答えのでる問題ではないのではないでしょうか?