ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

アートと職人芸のはざまで ~ 浦田秀穂氏講演

シンガポール撮影監督協会主催による浦田秀穂氏講演会を聴いてきました。

 

浦田氏はアメリカや日本で撮影監督として経験を積み、20011年からはシンガポールのラサール・アート・カレッジで映画撮影についての講義もしておられる方。昨年はロカルノ映画祭金豹賞受賞のシンガポール映画『幻土』で撮影監督も務めるばりばり現役。

 

さすがカレッジで教えていらっしゃるだけあり、長年の経験に裏打ちされた実践的でユーモアあふれるお話はたいへん面白かったのですが、「僕はアーティストじゃないから」と繰り返し話されるのを聴き、改めて映画って何だろうと考えてしまいました。

 

他の多くのアートと違い、映画というジャンルのアートにはアーティスというより職人的な要素の強い人々が多く関わります(映画というアートが好きという意味ではみな同じだと思いますが)。

 

ビジネスという側面の強いプロデューシングや広告宣伝などはもちろん、カメラさんはじめ、音響さんにしても照明さんにしても美術さんにしても、もっといえば俳優さんにしても、映画監督という一人のアーティストの世界を表現させるためのアーティストの協力者である職人。

 

彼らがいなければ監督のアート世界は実現できせん。

 

同じことはダンスや音楽などの舞台芸術や、さらには小説だったら編集者、絵画だったらギャラリー主など他のアートにも言えますが、なにせ映画というのはその人数が圧倒的に多いため、監督1人の力というより他のスタッフの力のほうが時として勝ってしまうのではないでしょうか。

 

例えば、メインの俳優が1人変わっただけでその映画がまったく違うものになってしまうのは誰でも認めるでしょう。でも、オーケストラでは、1人のバイオリニストが交代してもこういうことは起きません(オーケストラの個性というのはありますから、全体としては言えますが)。

 

浦田氏はいろいろなシチュエーションで監督とせめぎ合いながらカメラの構図を決めていく過程を説明してくださいましたが、確かに監督の頭の中である程度の構図が出来上がっていても、微妙な位置決めやピントの合わせ方、影のつけ方など、最終的にはディーテールを決定していくのは撮影監督であり、現場の技術者たちのコラボレーションの結果になるわけです。そしてその一つ一つの彼らの決定が印象に残る一シーンとして、観客の記憶に残ることになるのです。

 

同じことは音楽監督にも美術監督にも言えると思います。つまり、一つの映画をクリエイトするアーティストである監督の力は、彼らの力によって相当薄められて不自由なものになる。逆に言えば、監督一人の能力を超えた協業の結果として、素晴らしいアートが構築される可能性もまたあるわけです。

 

ほんと、映画っておもしろいですね。

 

もう一つ、お話の中で頻繁に出てきた「ブロッキング」という用語が気になって調べてみたら、映像でストーリーを伝えるための空間、形、線のことでした。Youtubeのビデオがわかりやすく説明してくれています。

www.youtube.com

 

 

音楽や絵画などと同じく、映画を勉強したことのある人はこういう観点からも映画を楽しんでいるんだな、とまたもや感心しました。