ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

50歳未満の世界と50歳以上の世界はまったく違う。

最近、上場企業で45歳以上早期退職・希望退職募集が非常に多くなっているというブログ記事を読みました。

www.orangeitems.com

 

日本企業は、20~44歳でビジネスをやろうとしているのでしょうか。もしくは、組織の若返りに成功した暁には、昇給制度を見直し今の45歳以上のようには給与水準を上げないつもりなのでしょうか。

 

ブログ筆者の方はこのように憤っておられるのですが、確かにその通りで、多くの会社の経営者は44歳くらいまでの社員を実働戦力として考えていると思います。

 

ただリストラ対象が45歳からというのは最低年齢で、私の経験からすると50歳前後がボーダーライン。45歳から数年間は一定の猶予期間だと考えています。

 

この傾向は日本だけではありません。

 

私の夫もそうでしたが、首切りが容易なシンガポールの企業では、50歳を過ぎたあたりでリストラされる人が非常に多く、私が知っているだけで何人もこのくらいの年齢で職を失った人がいます。

 

ヨーロッパはよくわかりませんが、アメリカも同様で、知人にもそういう人がいますし、映画『レディ・バード』でも、主人公の父親が彼女の大学直前にリストラされて学費が工面できなくなるというストーリーでした。

 

つまり、日本のみならず、50歳前後を境にして、仕事人としてのキャリアを強制終了させられるケースが非常に多いということが言えると思います。

 

リストラに遭わず会社に残った場合でも事情はあまり変わりません。

 

これまでいろいろな会社の方々と会ってきましたが、45歳から50歳あたりを境にして上の役職に上がっていく人とそうでない人がはっきり分かれてきます。部長や事業部長などになったり、子会社に出向や移籍して同様のポストにつければ、仕事は課長以下の仕事である現業ではなく、管理という名のまったく違う仕事になりますので、これまでとは別の世界に入ります。

 

うまく出世コースを上がれなかった人は現業のまますえ置かれるわけですが、それでも若い人たちとは違う比較的重要でない担当を任されたり、もっと露骨に閑職に追いやられるケースも珍しくありません。

 

いずれにせよ、50歳代の方々が20代後半から30代くらいの若い人たちと伍して第一線で仕事をしているケースはかなり稀でした。

 

私自身も小企業の経営者として、30代半ばから40代にかけて生産や営業や管理の現場仕事も社員と一緒に行ってきました。しかし、40代後半になってからは徐々にお客さんや仕入れ先さんなどが代替わりして若くなってしまい、一緒に仕事をしても話やテンポが噛み合わなくなるという経験をしました。逆にそれまで一緒に仕事をしてきた方々は、上記のどれかのポジションについてしまい、実際の仕事での協業は難しくなっていったのです。

 

また、社内でも、年を経るごとに若い人たちとの間に見えない壁ができてきます。

 

40代も後半になってくると新卒の10代後半や20代のスタッフとは言葉の使い方ひとつをとっても感覚のずれが激しくなるので、間に中間管理職の20代から40代前半までの社員を入れたほうが仕事がスムーズに運びます。いっぽうで体力も衰えてきますので、例えばクレーム対応や納期対応で何時間も残業したり、出張で1日に何軒もお客さんを回ったりということができなくなってきたのです。

 

同じことは、サラリーマンとは世界が違う有名人の方々にも起こります。 

 

 女優の桃井かおりさんは、50歳を過ぎてからハリウッド女優としてのキャリアをスタートさせました。いろいろなインタビューによると、この頃彼女は、女優として今後日本でやっていくのは難しいと感じ、引退してもいいくらいの決意で渡米したといます。

 

バブル時代の広告界の寵児、糸井重里さんも同様。糸井さんが『ほぼ日刊イトイ新聞』を開設し、それまでのコピーライティングとは違う仕事を始めたのは、ちょうど50歳になった年。ポスト・バブル期のコピーライターから、物販会社の社長になるという大転換を経て、会社を上場にまで導きました。

 

このように、各界の大御所でさえ、50歳の壁にぶつかったとき、大きな決断とそれに伴う環境の変化に耐え、壁を乗り越えるためのたいへんな努力をされています。50歳前後とはそういう決断と転換の年齢だと思うのです。

 

企業に勤めるサラリーマンとして何とかリストラされずに居残って上に挙げたような出世コース、閑職コースに乗れるよう頑張るのか、それとも桃井さんや糸井さんように転職や起業で新天地に活路を見出すのか、決めるのは人それぞれでしょう。

 

いずれにせよ、50歳前後は誰にとってもこのような区切りの歳であることを若いうちから知って準備しておくのは決してムダではないと思います。

 

バブル時代の広告界の寵児、糸井重里さんも同様。糸井さんが『ほぼ日刊イトイ新聞』を開設し、それまでのコピーライティングとは違う仕事を始めたのは、ちょうど50歳になった年。ポスト・バブル期のコピーライターから、物販会社の社長になるという大転換を経て、会社を上場にまで導きました。

 

このように、各界の大御所でさえ、50歳の壁にぶつかったとき、大きな決断とそれに伴う環境の変化に耐え、壁を乗り越えるためのたいへんな努力をされています。50歳前後とはそういう決断と転換の年齢だと思うのです。

 

企業に勤めるサラリーマンとして何とかリストラされずに居残って上に挙げたような出世コース、閑職コースに乗れるよう頑張るのか、それとも桃井さんや糸井さんように転職や起業で新天地に活路を見出すのか、決めるのは人それぞれでしょう。

 

いずれにせよ、50歳前後は誰にとってもこのような区切りの歳であることを若いうちから知って準備しておくのは決してムダではないと思います。