撮影者と一体になる感覚? 「ASMR」
「社会貢献とビデオ制作」がテーマの勉強会の2回目。
今回は、2週間前に出された宿題である「自分でビデオを撮影してもってくる」をクリアした人だけの参加になったため、人数は前回の半分以下に。
ビデオ初心者のおばさんにはあまりにも高いハードルで(撮影した短いビデオをくっつけるだけの作業でしたが)よほどスキップしようかと思いましたが、何とか当日午前中に間に合わせて参加しました。
厳選された参加者が持ち寄った映像は、さすがに完成度が高いです。街角で音楽を演奏して生計を立てているさまざまな障害をもつミュージシャンたちの映像や、インド人労働者のゴミ収集人に密着したインタビューなど、素人とは思えない力作揃い。
品評界の初回である今回は、それぞれ撮影したビデオを何の説明もせず他の参加者たちに見せて、映像素材そのものを批評してもらいます。
カメラの向きや、撮影の目線を同じか下からにするとか、音をきれいに拾うにはどうしたらいいか、など撮影技術的なものと同時に、インタビュー時の質問の仕方や、インタビューに答えているところと実際に対象が動いているところを別のセクションにするなど、基本的なドキュメンタリーの構成も教えてもらえました。
私が撮影した映像はインタビューも何もないですし、主人公そのものも映っていないので大丈夫かなと不安だったのですが、実際に観てもらうと意外な反応が返ってきました。
— Mrs. Lowe (@sinlife2010) 2019年5月11日
それは「誰かを探しているという撮影者の気持ちを追体験できた」というもの。
インストラクターのShaggyさんが言うには、ASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)と呼ばれる感覚共有反応というような意味らしい。確かに撮影した自分自身が観ると泣ける映像なのですが、その自分の感情を何の説明もなしに映像だけで他人がわかってくれるというのは、嬉しいながら、とても不思議な感覚でした。
このような感覚や感情が喚起されるというのは、文字や画像だけでは難しい、というよりほとんど不可能だと思います。その昔、ポケモンの映像に子供たちがいっせいに反応して社会問題になったことがありましたが、やはり映像には通常のコミュニケーションでは伝えられない感覚や感情を媒介するものであることを再認識しました。
次回は2週間後。音声をちゃんと入れて映像もさらに増やすように、とアドバイスももらったのでやることがたくさん。必死でソフトを勉強したいと思います。