ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

プロと趣味の違いを再考してみた。

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6月後半、石垣島で夏の間だけ開店している私のカフェに、カナダから夫の従姉家族が訪ねてきてくれた。シンガポールに里帰りする途中とはいえ、はるばる離島までやってきてくれたのであるから最大限の歓待をしようと考えていた。

 

しかし…。

 

到着するや否や、いろいろな料理にトライするのが趣味の従姉と「将来はカフェか雑貨店を開業したい」と仲の良い友人と話しているという20代の娘は、「一緒に料理するのを楽しみにしてきた」とはしゃぐ。

 

その従姉たちに私がきっぱりと返したのは、「絶対にキッチンには入らないで下さい」の一言だった。

 

夏季限定営業で一人で回している小さなカフェで、私自身もまだまだ駆け出しの料理人ではあるものの、曲がりなりにも料理を供してお客様からお金をいただいているれっきとしたプロである。大切なお客様に素人が作った料理など間違ってもお出しできない。

 

ましてやここは亜熱帯の沖縄。食材の扱いを間違えたり、何かの拍子に菌が入ってしまったりして食中毒でも引き起こそうものなら商売終了なので、きちんと衛生管理教育を受けた人でなければキッチンやトイレの掃除一つたりと任せることはできない。

 

日本ではそれほど厳しくないが、シンガポールの厨房では、2日間の衛生安全管理講習を受けて試験をパスした人以外は厨房への立ち入りは厳禁。もちろん髪が料理に入らないように厨房の中では常に頭をすっぽり包むヘアバンドは欠かさないし、雑菌が入らないように爪はいつも深爪ぎりぎりまで切りそろえていて、厨房の外に出るたびに手洗いは欠かさない。

 

ということを伝えたのだが、いま一つ通じていないこともあったようで、その後も「私の知ってるレシピ教えてあげる」とか「これはとっても美味しいけどどうやって作るの?」とか言われるたびに私はどんどん不機嫌になってしまった。

 

冗談めかして「調理技術(Culinarly Arts)」と「料理(Cooking)」は違うのよ、私の料理が美味しいのは当たり前。学費を払って調理師学校で調理の基礎を習って、その後もいろいろな店で修業しているし。何よりこれでお客様にお金を払っていただいているのだから、と何度か言ってみたりはしたが、どうもうまく伝わらない。

 

それは相手が素人で、しかも「料理が趣味」で「得意である」と自負しているせいだ。私の調理は彼女にとってはその延長でしかない。

 

しかし、それは違う。

 

写真はカフェのディナー・メニューの地元産マグロの野菜マリネ。彼女がドレッシングが美味しいと絶賛してくれたもの。

 

新鮮なマグロが美味しいのは当たり前だが、ドレッシングは調理師学校で底意地の悪いスイス人シェフが作っているのを見て技術を盗んだもの。

 

酢と油を乳化させるのがコツで、野菜との和え方にも方法があるのだが、こんな面倒なことは家庭料理では絶対にしない。「何が違うの?」と聞かれたので使っているお酢を教えてあげたら買って帰ったようだけれど、そのお酢を使っても決して同じ味にはならない。根本的に作り方が違うのだ。

 

それ以外にも、ハーブの切り方は修業した高慢なイタリア人シェフのレストランで、洗った後の野菜の水切りと切り方は、厨房で大音響の中国語の歌謡曲をかけながら仕事をするマレーシア人シェフの仕切るタイレストランで覚えた。

 

ひたすらローズマリーをちぎったり、パルメザンチーズを擦りおろしたり、ゴミ袋一杯くらいの葉物野菜をカットしたり、20㎏の鶏肉をマリネしたり、蒸し魚料理用の魚のウロコ取りを毎日50匹以上したりした結果が、まだまだ半人前の料理人である現在の私がこの2年ほどで身につけた「調理技術」である。

 

それらの技術は、30年以上料理が好きでいろいろな料理をしてきたそれまでの私の「料理」とは根本的に異なっている。それは、自分や家族に無償で食べさせるためではなく、作った商品を値段をつけて売るための技術だからだ。

 

ある大卒日本人スター・シェフが「調理の世界では覚えなければならない技術が2万くらいある。だから大学卒業してからのスタートは遅すぎた。それがわかってひたすらいろいろなレストランで修業した」と語っているのを読んだことがあるが、その通りだと感じる。私がこれまでに習得したのはまだその半分にも遠く及ばない。

 

趣味で料理を作っていた頃は、私も「一度食べたたいていの料理は再現できる」と自惚れていたが、とんでもない間違いだった。プロの世界はそんなに甘くない。深く反省する次第である。

 

50歳半ばになって10代、20代の若者たちに交じり、体力の必要な調理という技術を一緒に勉強したり修行したりするのは正直なところラクではないが、その技術を使ってプロとして少しずつ進歩している自分自身を感じるのは楽しい。

 

天真爛漫な夫の従姉が帰って「少し強く言い過ぎたかな?」とちょっと気の毒になったが、彼女が私の作ったものを食べて「やっぱりプロって違うな」と感じてもらえたら良かったなと思う。

 

まだまだ私のプロ修行は続くのであった。