ミセス・ロウのシンガポール/石垣島デュアルライフ

50代から二拠点生活。都会&田舎で暮らす。

「ハンバーガーしか食べない」ビル・ゲイツが出資する会社が中国でベジタリアン・バーガーを売り出す理由。

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2か月のロックダウンで道端の雑草が花盛りに。

1980年代後半。当時の上司が来日中のビル・ゲイツ氏(まだWindows発売前のMS-DOS時代でベンチャーの旗手としては有名だったが今ほどの世界的著名人ではなかった)を接待することになり、頭を抱えていました。

 

下戸とはいえそれなりに美食家で、外人受けする寿司屋やら天ぷら屋やらしゃぶしゃぶ屋やらをよく知っている上司がなぜそんなに悩んだのか? その理由は「ビルはハンバーガーしか食べない」からでした。

 

あからさまに嫌な顔をしないものの、当時の彼は大変な偏食で、自分が食べ慣れたもの以外にはほとんど口をつけなかったそう。さすがに接待でマックに行くわけにもいかず、当時はまだバブル前で高級ハンバーガー屋もほとんどなかったため、連れていくところがないと上司は嘆息していたのです。

 

時は流れて2020年。

 

世界一の大富豪となったビルはビジネスの第一線を退き、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を設立して社会貢献に勤しんでいます。そしてこの財団が時価1300万ドル(約14億円)(2019年9月末での保有残高にて計算)もの出資をしている会社、ビヨンド・ミート社こそゲイツ氏の大好物、ハンバーガーのパテが主力製品の会社です。

 

しかし、同じハンバーガーでもこの会社のバーガーは一味違います。いっさい肉を使わない人工肉、動物性食材を全く使用しないヴィーガン・バーガーなのです。

 

ビヨンド・ミートは2009年、イーサン・ブラウン氏によって設立された人工肉製造販売会社。設立当初からビル・ゲイツTwitter創業者ビズ・ストーンをはじめ、著名ハイテク企業創業者らから投資を募って急成長。2019年にはNasdaqにも上場し1年間で売上240%増と驚異的な成長を遂げつつあります。

 

主力製品はバーガーパテですが、それ以外にも人工肉ソーセージやミートボールなど製品ラインアップは多彩で、米国内のホールフーズやテスコなど全国チェーンスーパーで販売する他、輸出にも積極的。私が住むシンガポールでもスーパーやネットスーパーで手軽に購入でき、日本市場でも販売間近と聞いています。

 

そんなビヨンド・ミートのバーガー・パテを使ったハンバーガーが2020年6月3日、つまり昨日から中国で販売開始というニュースが報道され、投資家の間で話題になっています。

www.cnn.co.jp

 

この記事によると、中国のファストフードチェーンのフランチャイジー、ヤム・チャイナ社と提携し、北京、上海、杭州成都の4都市のKFC、タコベル、ピザハットで試験販売。うまくいけば大々的に全国展開する見通しとなり、株価が急騰して、コロナショックで低迷していた5月中旬の最安値の2.4倍近くになるという大逆転劇となっています。

 

なぜ今、中国なのか?

 

いうまでもなく中国は世界最大の食品市場。異様なまでに食に執着し「椅子以外の四つ足は何でも食べる」と言われる14億人が、世界各地の最高級食材からワシントン条約違反の希少動物まで貪欲に探し求めて輸入する国です。世界中の食品製造業者の販売ターゲット市場としては、もちろんじゅうぶん魅力的。

 

しかし、ビヨンド・ミート社の製品はいくら「肉そっくり」と言っても所詮は本物のミートではないまがい物。世界最高の和牛をはじめ美食に慣れた中国人が先を争って買い求めるとはとても思えません。

 

しかも主戦場は富裕層向けの高級市場ではなくミドルクラス対象のファスト・フード。だいぶ値段がこなれてきたとはいえ、シンガポールでもパテ2枚パックで約800円、つまりバーガーパテだけで1枚400円もコストがかかる人工肉ハンバーガーが飛ぶように売れるものでしょうか?

 

通常であれば、まずはミドルクラスの平均所得が中国より高い、先進国のファスト・フードチェーンである程度の実績をつけてから中国市場参入、と考えるのが順当だと思います。反対に、その過程を飛ばしていきなり中国を主戦場に選んだのには、実は切羽つまった事情があるのはないかと思うのです。(ビヨンド・ミートのコンペティター、インポッシブル・フーズは米国内のバーガーキングやマックなどで人工肉バーガーを販売していますが、まだまだ成功というには遠く及ばない状況のようです)

 

wired.jp

 

昨年はブラジルのアマゾン川流域で大規模な森林火災が起き、国際的なニュースとなりました。アマゾン森林火災は毎年のように報道されますが、昨年は近年になく件数が多く、その煙は遠く離れたサンパウロまで届いたといいます。こうして裸になった土地は主として農地として利用されます。

 

では、このように拡大してきた耕地で、いったいどんな農産物を作っているのでしょうか? ブラジルはBRICsの一角を占め、めざましい経済成長を遂げてきた国ですが、経済発展とともに人口が爆発的に増えて、米や小麦栽培を増産する必要にかられているのでしょうか? 

 

確かにブラジルは農業大国で、大豆は輸出品目2位に挙げられます。いっぽう、近年めざましく輸出が伸びているのが食肉。ブラジル産鶏肉はスーパーでみかけたことがある方も多いと思いますが(シンガポールでは冷凍鶏肉はほぼ100%ブラジル産)、流通量こそ少ないものの金額ベースで鶏肉に比肩するのが牛肉輸出なのです。

 

2019年のブラジル牛肉輸出量は約183万トンで前年比12.4%増。金額ベースでは約27億ドル(約2900憶円)で全輸出量の約8割が中国向け。牛肉生産量は右肩上がりで伸び続けていますが、国内需要より海外需要が強く、2020年には260万トンの輸出が見込まれるそうです。いっぽうの中国の2020年の牛肉輸入予測量は290万トンとなっていますので、ブラジルの牛肉生産量の伸びはイコール中国の牛肉輸入量の伸びと考えていいでしょう。

 

中国ではもともと「肉」といえば豚肉をさすほどで、牛肉の消費量はさほど多くなかったのですが、開国・経済成長が始まった80年代後半から一貫して牛肉消費量が伸び、国内消費量はこの頃と比べて10倍以上になっています。

 

それにつれて国内牛肉生産量も伸びて90年代には一部輸出もしていたのですが、国内需要に供給が追いつかないため内需に回るようになり、それでも足りずに2010年代からは輸入が始まります。そして2013年にはたった41万トンだった輸入量が290万トンまで7倍近くに膨れ上がったのです。

 

さて、ブラジルの食肉牛飼育は国土の狭い日本と違い放牧型で、2013/14年度の統計によると1ヘクタールあたりの飼育頭数は1.3頭。体重約700㎏の牛からとれる食用肉は約230㎏ですから、1ヘクタールあたりの肉量は約300㎏。ここまで育てる年数を考慮しなければ、260万トンの食肉生産には870万ヘクタールの耕地面積が必要であり、日本の国土面積の約23%になります。たった10年ほどでこれだけの草地面積が必要になったわけですから、熱帯雨林を伐採して調達する必要があったのです。

 

問題は森林伐採だけではありません。

 

牛1頭が1日にげっぷやおならとして排出するメタンガスの量は1日あたり160から320リットルと非常に多く、世界のメタンガス発生量の約24%が家畜により発生すると言われます。2015年の数値ではメタンガスが世界の温室効果ガス排出量の16%を占めており、しかも、同じ量のメタンとCO2を比較した場合、メタンには28倍もの温室効果があるというのです。

 

つまり牛の飼育頭数が増えれば増えるほど、地球環境が急激に悪化していくのです。

 

ビヨンド・ミート創立者のブラウン氏も、投資者であるゲイツ氏も当初からこのビジネスを単なる食品ビジネスとは考えず、環境問題を解決し、人々の健康や動物愛護に寄与する事業と位置づけています。そんな彼らが昨年のアマゾン大規模森林火災や急増する中国の牛肉輸入量を目の当たりにしたとき、企業ミッションとして中国市場での一定のシェア確保が喫緊の課題であると考えたのではないでしょうか。

 

 

mrs-lowe.hateblo.jp

 

この記事でも書きましたが、今回のコロナ禍を数年前から予測し警告していたジャーナリスト、クオメン氏は、エボラ熱、HIVSARS鳥インフルエンザなどの感染症の頻繁な流行は森林伐採により野生動物と人間や家畜の居住域が接近したために起きたものだと述べています。

 

その上で今後の予防対策として私たちができること(しない場合は今後も繰り返しコロナのような世界的疫病流行が数年おきに発生する)として、旅行を控えること、子供をたくさん産まないことと並び、肉、特に牛肉をできるだけ食べないことを推奨しています。

 

たまに食べれば牛肉はごちそうですが、日常的に牛肉を食べるようになればなるほど、地球環境が破壊され、そのツケは私たちの命という形で払わされることになるのです。

 

ビル・ゲイツ氏はベジタリアンではないそうですが、ハンバーガーしか食べなかった彼が、人工肉バーガーしか食べなくなる日も遠くないかもしれません。

人間はみんないつか、何かで死ぬ。

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シンガポールのロックダウン(政府はサーキットブレーカーと呼んでいる)解除まであと5日になった。

 

大規模寮に住んでいる外国人建設労働者の感染対策に失敗したため、シンガポールは感染者数が現時点で3万人超えというアジアでも有数の感染国になってしまったけれど、一般市民の感染はとても少なく、コロナウィルス感染により死亡した人も現時点では23人しかいない。なので、ウィルスに対する危機感よりもロックダウンによる精神的・経済的閉塞感の方がずっと大きいというのが正直な気持ちだ。

 

欧米と違って死亡者が少ないから、という理由もあるけれど、私にはどうもこの感染症に対する恐怖感が沸き上がってこない。

 

最初は違った。1月に中国で感染が爆発して武漢が閉鎖された頃には、この病気のことはほとんどわかっていなかった。本当に怖かった。自分がかかって死ぬかもしれない恐怖より、10歳の娘が感染して死んでしまったり重篤な後遺症が残る可能性が否定できなかった。旧正月休み明けには学校を3日間休ませた。

 

しかし、この感染症で大部分の20代未満の子供たちが深刻な被害を受けないことがほぼ確実になってきた現在、私の恐怖心は消えた。私や夫は50代半ばなのでもう十分それぞれの人生を生きてきた。2人とも一番多忙だった時期を過ぎて現在は子育てや趣味が中心のセカンドライフを送っている。社会的にはいてもいなくてもたいして影響がない者たちだ。子供さえ助かれば私たちはどうでもいい。

 

現在は深刻な持病もないし、もし今日コロナウィルスに感染して、数日、もしくは数週間で死んでしまうとしたら、ひと昔前にみんなが憧れていた「ピンピンコロリ」死じゃないだろうか? 

 

ガンで闘病して数年にわたり苦しい治療を繰り返すわけでもなく、糖尿病や腎不全で不自由な生活を長く続けなければならないわけでもなく、心臓のバイパス手術や脳溢血後のリハビリも不要で、認知症みたいに周囲に迷惑をかける必要もない。私としては、コロナ死こそ理想の死に方じゃないかと思うのである。

 

とつらつらと考えたのは、このロックダウン中に、私の理想とはかけ離れた闘病生活を送らざるをえない可能性に直面させられたからだ。

 

発端は胸部の超音波検査で左胸に9㎜程度のしこりがみつかったことだった。

 

私は50歳になった頃から更年期障害の症状緩和のためにHRT(ホルモン補充療法)を受けているため、1~2年おきに子宮がん検査(パップテストと超音波)と乳がん検査(マンモグラフィと超音波)が義務づけられている。これまでの検査でも何度か、子宮や乳房にこのような小さなおでき状のものがあったことはあった。しかし、今回は少し大きかったため乳がんの生体検査を受けることになったのだ。

 

大きいといってもマンモではみつかない程度。たまたま超音波検査でみつかったから大ごとになっただけで、自分の体の見えるところ(皮膚の上)にはこのくらいの大きさのおできなど何個もある。年齢を考えたら当然だろう。

 

そんな検査しなくてもいいです、といちおう医者には言ってみたけど「ではHRTは続けられない」と返されてしぶしぶ受けることにした。女性ホルモンを飲まないとたちどころにホットフラッシュが復活して体調が最悪になるからだ。

 

結果、悪性の細胞はみつからなかった。しかし、良性のおでき細胞もみつからなかった。

 

そこで医者が言うには、「この結果は超音波の画像と一致しない」ので、採取した生体組織はこのおできの細胞でない可能性が高く、とすると悪性であるかもしれないので、この近辺の部位を直径5㎝ほどごそっと切除して検査する、というのである。

 

おいおい、ちょっと待ってほしい。悪性の細胞がみつからなかったのにそんなにたくさん切っちゃうのですか? ほんの一つまみの生体細胞を針で採っただけでも1週間以上胸が痛くて掃除やヨガもできなかったのに、ベニスの商人じゃあるまいし、5㎝の塊を取ったりしたら数か月はまともな生活ができない。また、一度取ったとしても、おできだからまたできる可能性も高い。こんなことを一生繰り返すのですか?

 

さんざん医者と議論(口論に近い)したあげく、もう一度超音波検査を受けておできが6㎜になっているのを確認してもらい、消えた3㎜分は検査した生体の中に入っているはずで、そこに悪性細胞がなかったのだから手術を受ける必要がないことを主張し、今後、2,3か月おきに定期的に超音波でおできが大きくなっていないかチェックすることを条件にHRT継続を認めてもらった。

 

ひとまず事なきを得る。

 

いくらクオリティ・オブ・ライフをキープしたい私でも、明らかに乳がんであるのに手術や抗がん剤治療も受けずにがんが全身に広がっていくのをじっと傍観したいわけではない。ただ、悪性であることも証明されていないのに、悪性である可能性がなくはないから、という理由で不必要な手術を受けさせられたり、余計な検査を強制されたりするのが嫌なのだ。

 

「将来乳がんになる可能性が高いから」と乳房を取ってしまったアメリカの女優さんがいたけれど、私だったら絶対にしない。虫垂炎になってしまうかもしれないから、といって盲腸を手術で取ってしまうのと同じじゃないかと思うからだ。盲腸になったらなった時のこと、がんができたらできた時のこと、その時に最善を尽くせばいい。

 

とはいえ、生活習慣病は違う。

 

これは長い時間をかけてだんだん病気が悪化していくものであって、糖尿病、高血圧症、心筋梗塞症はもちろん、一部のガンや認知症や腎不全なども含めて、高齢者の病気の半分以上は運動習慣や喫煙や食事が原因になっている。そしてそれらの習慣が最終的に死因になる。

 

私の祖母は76歳で心不全を起こして入院し翌朝亡くなった。数えの29歳で未亡人になり、女手一つで事業を営みながら3人の子供を育て、還暦で引退した後は習い事に旅行にと好きなことと美味しいものを存分に楽しみ、亡くなったときは「大往生」と言われた。

 

おばあちゃんっ子だった私は後追い自殺したいほど悲しかったが、今思うと彼女にとってはこの死に方はとても良かったと思う。好きなものを食べて、好きなことをして全うする人生より幸せなことがあるだろうか?

 

しかし、昨今は心不全で人はなかなか死なない。医学の進歩だ。私の周囲にも何人かいるが、バイパス手術を受けたりペースメーカーを埋め込んだりして助かる。もちろんそれまで通りの生活はできず、若くして仕事を辞めざるをえなくなった人もいる。

 

脳梗塞も同じ。以前は死に至る病だったけれど、現在では半分以上が助かり、その後何十年も生きる方々も少なくない。その中には半身不随になる方もいれば、長年リハビリを続けられる方もいる。

 

医学の進歩は素晴らしいことだ。しかし、そのおかげで私たちは「ピンピンコロリ」死から年々遠ざけられている。もちろん、重い病気をして障害を負っても、何度も手術を繰り返す生活を送っても、人が生きるということは、生きているというだけで素晴らしい。ただ、それは永遠に続けられることではない。

 

人はいつか、必ず、何かで死ぬのだ。

 

世界のコロナ対応を見ていて思うのだが、ほとんどの国やほとんどの医者やほとんどの人たちは、常に「人を絶対に死なせないために何をしたらいいか」を考えて行動しているような気がする。死ぬことは、そんなに悪いことなのだろうか?

 

そう考えていない人たちもいるようだ。

 

コロナ対策で他のヨーロッパ諸国とまったく違う対応をとったスウェーデン。ロックダウンはせず、リスクの高い高齢者の外出規制もしなかった(高齢者との接触を避けるようにという指導は行っている模様)。基本的には、自分の命を守るためにどうするかは自分で決めてください、という姿勢で、この対応は高齢者が自力で食べられなくなったときに、点滴をしたり胃ろうを作ったりして延命をしない、というこれまでのこの国の医療方針とも一致している。

 

確かに天寿を全うして老衰で死ぬのは人として一番幸せなことだろう。

 

でも、多くの人はそれほど幸運ではない。日本を含む多くの先進国で平均寿命と健康寿命の間に5歳程度の開きがあることからもわかるけれど、自分の思うようにならない身体を抱えて、死にたくても死ねない人がたくさんいるのだ。

 

腎不全で人工透析を受けている方は透析治療中も病状が進行し、大半が5年前後で亡くなるそうだ。腎臓移植を受ければこの方々の寿命はさらに伸びるのだけれど、あえて手術を選択しない方々も少なくないという。週3回、数時間にも及ぶ透析治療を続けながら、この方々がご自分の死と対峙し受容していかれる過程を私は尊敬する。

 

ある方がTwitterで、一人の高齢者の方が夕刻に担架で救急車に運び込まれる写真を載せられて「これが彼が見る最後の夕陽かもしれない」という意味のことを書いていらっしゃった。私はその夕陽が美しくて本当に良かったな、としみじみ思った。この世で美しい夕陽を見て人生を終えられるなんて、なんと素晴らしいことだろう!

 

人生は終わりがあるから美しい。

美しい終わりを迎えるために、私は今日を生きたいと思う。

次のコロナ禍を引き起こさないために私たちができること

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The next big human pandemic—the next disease cataclysm, perhaps on the scale of AIDS or the 1918 influenza—is likely to be caused by a new virus coming to humans from wildlife. 

人類が次に経験する大きな疫病―次の激変をもたらす疾病は恐らくAIDSか1918年のインフルエンザ規模になるーは、野生動物から人間に感染したウィルスによって起こるだろう。

 

HIVやエボラ熱などの感染症取材を長年にわたり続けてきた科学ジャーナリスト、デヴィッド・クワメンの2012年の著書『スピルオーバー』は、コロナウィルスによる厄災到来を正確に予測していた。

 

この中で彼は中国南部の洞窟に住む蝙蝠のウィルス(実際に中国の学者たちが2017年に雲南省で採取したウィルスについての研究を発表)が人に感染する可能性を指摘。このウィルスは現在のCovid-19ウィルスと97%同じ構造をもつという。

 

世界の感染症学者やジャーナリストなどの専門家たちからすれば、今回のコロナ禍は想定外とはほど遠く、当然予想されたことだったのである。

e360.yale.edu

 

 にもかかわらず、世界の行政府がCovid-19発生に先立って何の備えも行ってこなかった怠慢を彼は厳しく非難する。ビル・ゲイツ氏が数年前にコロナ感染症の到来を予言していたとネットで話題になったが、その程度のことは感染症業界では常識であり、各国政府や米危機管理局の感染対策セクションも当然知っていた。しかし警告を真剣に取り合わなかった行政府の姿勢が今日の大混乱の元凶となったのだ。

 

野生動物がもつウィルスは150万種類以上あると考えられており(特に哺乳類の種の4分の1を占め、18~20年と寿命が長く集団生活をして集団内でウィルスを拡散する蝙蝠は各種ウィルスの宝庫)、巨大なウィルス貯水池を形成している。そこから何かの拍子にウィルスがこぼれ落ちたとき(spillover)、未知のウィルスが野生動物から家畜に飛び移り、(もしくは直接)人間に感染を広げるという。

 

つまり、今回のコロナ禍はそのほんの一例にすぎず、将来的にあらゆる種類の感染症が野生界から人間界にもたらされる可能性が非常に高いということだ。クワメン氏は、今後10年に一度は今回のコロナ禍のようなウィルスによる大掛かりなパンデミックが繰り返されるだろうと予言する。彼の警告はこれまでの例を拾っても控えめにすぎるくらいだ。

 

ボリビア出血熱、ボリビア、1961年;マールブルグ病、ドイツ、1967年;エボラ出血熱、ザイール及びスーダン、1976年;H.I.V.、ニューヨークとカリフォルニアで発見、1981年;ハンタウィルス、米国南西部、1993年、ヘンドラウィルス、オーストラリア、1994年;鳥インフルエンザ、香港、1997年;二パウィルス、マレーシア、1998年;ウエストナイル熱、ニューヨーク、1999年;SARS、中国、2002-3年;MERS、サウジアラビア、2012年;エボラ出血熱再来、西アフリカ、2014年

 

しかしただ手をこまねいて次の厄災を待つだけではなく、私たちが多少なりとも被害を軽減するためにできることがないわけではない。蝙蝠を筆頭とするウィルスの宿主である野生動物取引禁止は最も手っ取り早い方法であるが、それ以外にクワメン氏が推奨するのは以下の3点だ。

 

1.できるだけ肉を食べない。

私たちは野生動物の生息環境である熱帯雨林や森林を切り開いて牧草地を作り、家畜を飼育する。宿主が減少したウィルスは家畜に乗り移り、そこからさらに人に乗り移っていく。

 

地球上の陸地のうち居住可能なのは全体の71%。そのうち半分が農業に使用されており、さらにその77%が牧畜用だ。つまり、地球上の全陸地の3割近くで家畜が飼育されていて、アマゾン森林伐採や焼き畑農業により拡大を続けている。ここが野生動物から人にウィルスが乗り移るステップアップ地帯であり、食用肉の流通を減らすことによりこの面積の拡大を阻止できる。

 

2.できるだけ旅行をしない。

ウィルスは人に感染し、飛行機に乗って世界に拡散する。1999年にやはり中国で発生したコロナウィルスが引き起こしたSARSがアジア内にとどまったのに対し、今回のCovid-19が世界中で猛威をふるったのは、発生地である中国から大量の中国人旅行客が世界に散らばってウィルスを拡散したことが最大の原因であると考えられる。

 

仮にどこかの地域で未知の感染症が発生したとしても、世界に拡散するスピードが遅ければその間に対策を講じることができる。時間稼ぎのためには航空機による大量観光客輸送の時代を終わらせる必要があるだろうし、あのウォーレン・バフェットがコロナ以降を見越して大量の航空会社保有株を売却したのも象徴的である。

 

3.子供をできるだけ産まない。

「あなたがまったく動物の肉を食べないヴィーガンになっても、まったく旅行をせずに家に閉じこもっていても、子供が4、5人もいればその効果は帳消しになる」とクオメン氏は語る。

 

地球環境にとって最大の脅威は人類が増え続けることだ。

 

しかし、いくらグレタさんに怖い顔で「How dare you!」と睨まれても、すでに生まれてきてしまった私たちは自殺するわけにもいかないし、現在享受している文化的な生活のすべてを放棄して縄文時代の採集生活に戻れるわけでもない。人間の生活による環境への負荷増大を止めるには、人類の再生産を減少させてその影響を最小限にとどめる消極的な選択しかないのだ。

 

先進国の多くで少子化が進んでいるのは、無意識のうちにこのような選択が働いているのかもしれない。

 

感染症問題とは、つまるところ環境問題なのである。

 

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世界のどの国も同じであるが、私たちには今後、このような感染症による厄災を定期的に何度も受け入れられるだけの社会的余裕も経済的余裕ももちあわせていない。コロナウィルスの脅威がまだ生々しく残っている今こそ、次の災禍を回避するための対策を真剣に論じるべきであろう。

恐れるな。

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本日はイースター。キリストが復活されたとされる日だ。

 

クリスマスは大好きな日本人だけど、イースターにはまったく興味がないようだ。プレゼントの習慣がないからきっとたいした商売にならないのだろう。

 

しかし世界人口の3割を占めるキリスト教徒にとって、イースターはクリスマスより数倍重要なイベントである。クリスマスを取るかイースターを取るかと言われたら、みんな迷わずイースターを取るはず。それは彼らの信仰にとって決定的な出来事がこの日に起こったからである。

 

・いったん死んだ人が生き返る?

・ありえないでしょう。

・ゾンビじゃあるまいし。

・科学で説明できないのは奇跡じゃなくて迷信。

・もし実際に複数の人たちが復活したイエスに遭ったのだったらそれって集団ヒステリーじゃないの?

 

しかし、このキリスト教徒における最重要イベントに対して、無宗教の現代人が抱く感想は概してこんなものではないだろうか? 私自身も洗礼を受ける直前までそう思っていた。

 

そして、キリスト教徒になってから30年以上たつ今も、完全に、本当に、絶対に、イエスの復活を信じてるか、と問い詰められたら、確信をもってイエスと答えられる自信はない。

  

子供の頃、ミッションスクールや教会学校に通ったことがある人で「キリスト教にシンパシーはあるけど洗礼を受けようとは思わない」という人が時々いるけれど、たいてい私のように復活で「躓いて」いる。

 

というのも、新約聖書にある他の「奇跡」はある程度事実として信じられても(死人を生き返らせたというのは仮死状態だった人がたまたま蘇生したのだとか、パンや魚を大量に増やしたのは少しの食料をみんなで分け合って食べただけ、などの解釈はちょっと苦しいけど成立しないことはない)、イエスの復活だけはどう理屈をこねくり回しても説明できないからだ。

 

いっぽう、科学の力が宗教を凌駕するようになった20世紀において、キリスト教神学最大のテーマとなった「史的イエス」研究は、長いキリスト教の歴史において人間としての属性が曖昧になり輝かしい天上の神となってしまったイエスを、貧しい大工の息子として再発見することから始まった。

 

気の遠くなるような文書研究によって(カトリックや多くのプロテスタント教派で正典とされる新約聖書の文書以外にもさまざまな文書を用いながら)、聖書の中で実際に起こったであろうこと、実際にイエスが言ったり為したりしたであろうことと、後世に付け加えられたことをできる限り仕分けしていく作業の中でわかったのは、

 

エスは栄光ある神としての人生を過ごしたのではなく、貧しい者、虐げられた者、蔑まれた者たちと共に社会の底辺に生きたただのみすぼらしい男だった。

 

の一言につきる。もちろんイエスの復活を証明することなんかできない。

 

さらに、十字架上で死にゆくイエスが最後に叫んだ言葉はルカ福音書によれば「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」となっているが、史的イエス研究が研究しつくした結果によると、これはたぶん後から付け加えられたもので、実際にはマタイ福音書にある「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)が最後の言葉だとされている。イエスは神から見捨てられちゃったとこで死んでるわけだ。

 

身も蓋もない。

 

史的イエス研究は、現ローマ教皇であるフランシスコ神父の出身地南米で1980年代に吹き荒れたカトリックの「解放の神学」運動の礎にもなっている。当時は南米の国々自体がイエスが生きていた時代のイスラエルみたいなものであった。

 

スペインやポルトガルの植民地にされて搾取され、独立してもいつまでたっても庶民は豊かになれず、軍事独裁政権に支配され、恐怖と貧困と犯罪が支配する土地。それが南米の多くの国々が直面していた現実だった。解放の神学はその中で、教会という権威の砦にたて籠らずに貧しい庶民と一緒に不条理な政権と戦う、という神父たちのムーブメントで、フランシスコ神父もまさにその渦中にいたのであるが、当時のバチカンの対応は冷ややかであり、目立った活動をした神父たちは異端として排斥された。

 

しかし、豪華絢爛な(金ぴかの)バチカン宮殿で緋色のガウンに身を包み、神の代理人役をつつがなく務めるのがナザレの大工の息子、イエスの弟子たちの末裔の正統な役目なのだろうか?

 

キリスト復活の日、つまり2千年くらい前のだいたい今日くらいの日、イエスの弟子だった2人組が、エルサレムからちょっと離れたエマオという村に向けて歩いていた。それまでずっとイエスにくっついて旅をしてきたけれど、イエスは死んでしまったし、エルサレムにいると自分たちも逮捕されてしまうかもしれない。なので、とりあえずエルサレムを出てエマオに身を隠そうとしていたのだ。

 

エスが処刑されるまでは救世主として崇め奉り、世直しだと意気盛んに人々に帰依を迫っていた弟子たちが、教祖(イエスは自分のことをそう呼んではいないけれど)がいなくなった途端にたいへんなビビリになって、危険なエルサレムから逃げようとしていたのである。どの口が信仰をいう? の世界である。

 

ところが、エマオへ向かう途上で2人の前に見知らぬ人が現れ、共に歩きながら聖書(まだ新約はないので旧約)を語った。そしてエマオに到着後、一緒に食事をしようとしてこの人がパンを裂いたとき、初めて弟子たちはこの人が復活したイエスだということに気づくのである。その瞬間、イエスは消える。

 

驚いた2人が急いでエルサレムに戻ると、すでに復活したイエスはペテロにも出現していて(バチカンサン・ピエトロ寺院の名前にもなっていて、初代教皇とされる弟子ペトロは、逮捕前のイエスに「鶏の鳴く前に3度私を知らないというだろう」と予言されて実際にその通りになり、自分の情けなさに大泣きする聖書中最大のチキンである)、ペトロをはじめ、ビビリでチキンであった弟子たちはまるで人間が変わったように、死をも恐れぬイエスの教えの伝道者となって布教活動に邁進し、次々と殉教していくのだ。

 

・あのペテロを筆頭に、どうしようもないチキンであった弟子たちがここまで変わった。

・彼らは復活のイエスを見たと言っている。

・復活か何かはっきりとはわからないが、彼らをあそこまで変えたからには相当ショッキングな事件があったに違いない。

 

というのが、どうしても復活を信じられない私に信仰の師が教えてくれたことであり、この恩師の言葉が私の受洗のきっかけとなった。

 

私には今もって復活を合理的に説明することはできないが、私が今キリスト教徒であるということは、この弟子たちが実際に存在したということの証明でもある。というのは、仏教やイスラム教やユダヤ教と違い、キリスト教徒になるには必ずキリスト教徒による洗礼が必要であり、それはこの弟子たちから始まっているからなのだ(さらに遡るとサロメで有名な洗者ヨハネ)。

 

復活を信じないのは科学的法則に基づく演繹的否定であるが、復活を信じるのは歴史的事実に基づく帰納的肯定なのである。

 

どちらが本当に正しいのかは誰にもわからない。後世に実は間違いだったと正される科学法則などいくらでもあるし、歴史的事実なんていうもののほとんどはどちらの見方をとるかの主観にすぎない(文書が残っていても「本当のことはネットに書いてある」という人と同じで、それがフェイクである可能性は排除できない)。

 

さて、このイエスの復活を祝う日、イースター前夜祭のミサでフランシスコ教皇は「恐れるな」と語ったという。伝えるニュースに出典が書いてなかったのでどの聖書の個所の引用かわからないが、恐らくここではないだろうか?

 

こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 

ルカによる福音書24章36-39節

  

この後、イエスは十字架に磔にされたときに手にあいた釘の穴を触らせてみたりするのだが、これってまじで怖い。顔も姿も生前とは全然違って見える人が「ここに穴が開いてるから触れ」と言って手を差し出してきたら怖くないほうが不自然だろう。

 

現在の状況も似たようなものだ。多くの人が歴史上見たこともない獰猛なコロナ・ウィルスにより、あれだけ毎日、途方もない数の人がばたばたと死んでいくヨーロッパにあって、次は自分の番かも、自分の家族の番かもと怯えている人たちにとって、恐れは日常生活の伴走者だ。

 

その渦中にあってフランシスコ教皇は、「恐れるな。恐怖に身をゆだねるな」「これは希望のメッセージだ」と語るのである。

 

厳密に言えば、私たちが恐れているのはコロナ・ウィルスそのものではない。ウィルスにより私たちの日常生活が奪われ、私たちの生活の糧を稼ぐ仕事が奪われ、自分自身や家族や友人たちやその他の多くの人の命が奪われるかもしれない現在と将来のことだ。

 

つまり、私たちが昨日まで送っていた日常が消え去って、自分がまったく新しい世界にいや応なく投げ込まれてしまうということなのだ。

 

これってイエスの弟子たちがイエスの死のときに経験したことと同じである。

 

そしてフランシスコ教皇がずっと過ごした南米の国々で、軍事政権や貧困によって多くの人たちが経験してきたことでもある。

 

内戦や戦乱によって家や家族を失い、命からがら逃げだして難民キャンプで暮らす中東の人々が経験していることでもあり、

 

3.11の地震津波で家も家族も失い、原発事故で帰る故郷さえ失った同胞の日本人が経験してきたことでもある。

 

つまり、今まで対岸の火事と傍観してきたことと同様のことが、自分の身に起こりつつある、ということなのである。

 

しかし、このような人々と同じく、そして、これから私たちを襲うことになるかもしれない境遇と同じく、神からも人々からも見捨てられどん底の最期を経験したイエスが、復活した。それを知るからこそ、フランシスコ教皇はあえて「恐れるな」というのではないだろうか? 

 

どんな苦境にあろうと、どんなに見捨てられたと感じても、イエスは必ず復活する。そして私たちと共に歩いてくれる。だから恐怖におののいてはいけないのだと。

 

恐怖のどん底にあって、私たちを救うのは希望なのだと。希望こそが復活なのだと。

 

いつ収束するかまったくわからないコロナ禍の渦中にあって、恐れるな、私の言葉が希望である、と語る教皇の姿を見て、やはりキリスト教徒であって良かったと感じた私の三十数回目のイースターの日であった。

見えてきたインバウンドの「食」の課題

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沖縄の離島で夏季限定のカフェ&レストランを開業して3年目。

 

6月は家族が一緒に滞在しており、友人やカナダの親戚一家が訪ねてきたりしていたので昼のみの営業でしたが、今月に入ってからは夜のレストラン営業も再開し、朝から掃除に仕込みにそれなりに忙しい毎日を送っています。独りで切り盛りしているので体力的には大変ではありますが、新しく来ていただいたお客様や、一昨年、昨年にいらしていただいたお客様に再訪いただいてお話をするのが大きな楽しみです。

 

土地柄、お客様は半分が地元のお客様で、残りの半分は観光客の方々。中でも観光客の方々は欧州を中心としたインバウンドのお客様が半分以上を占めるのが特徴です。

 

看板やメニューをすべて日本語・英語表記にしていたのは最初からですが(香港や台湾からのお客様も多いので1年目は中国語も書いていましたが、さすがに大変すぎてギブアップ)、昨年からはメニューの内容も表記もかなり変えてきました。というのも、欧米や台湾からのお客様にベジタリアンやヴィーガンの方々が多いのに気がついたからです。

 

主として欧米の方々は環境保護や動物愛護の観点から、台湾の方々は宗教的な理由から(インドの方々も含む)、ベジタリアンやヴィーガン食生活を実践している方が多く、肉や魚の入った料理を一切食べません。

 

さすがにこの程度の知識はあったので当初からメニューにはベジタリアン対応の料理は入れていました。しかしこのような方々は他に食事できる場所がなく、毎日通ってくださるため、いつも同じ料理を出すわけにもいかなくなり、ベジタリアン/ヴィーガン対応メニューを増やした結果、半分程度が肉・魚(出汁や調味料も含めて)をいっさい使っていない料理となりました。

 

昨年いらしたあるアメリカ人のお客様が話してくれたエピソード。

 

ある普通の居酒屋さんに入って「ベジタリアンなので食べられる料理を出してください」とお願いしたところ、豆腐にハムの細切りが載ったものが出てきた。「これは肉が入っているのでダメです」と返したところ、今度は削り節が載って出てきたとのこと。さすがにそれ以上言うのも申し訳なく、仕方なく削り節を取り除いて食べたと言っていましたが、確かにありそうな話です。必死に対応しようとした居酒屋の方もお気の毒だなと思いました。

 

もう一つ気がついたのは、欧州からの観光客の中に、中東などイスラム教国出身でヨーロッパに移住した人々の2世、3世の方々が増えてきているということです。

 

たいていカップルや友人同士で来られるのですが、フランス語やドイツ語を流暢に話しているのでぱっと見ただけではそうとわかりません。しかし、よくよく顔つきや瞳の色を見ると、鼻が細くて高く、目の色は狼のような美しい金色をしていたりして、どこか純粋なゲルマンやラテンの方々とは違う容貌をしています。

 

彼らは60年代や70年代にトルコやイランなどから移民してきた両親や祖父母の元に生まれた人々で、教育は欧州で受けているので考え方はほぼ欧州人と同じ。パートナーや友人はたいてい生粋の欧州人です。ただ、生まれながらの宗教や家庭環境のせいで、豚肉は決して食べず、醤油が入った料理も苦手なようで慎重にメニューを選んで注文されます。

 

おかげで、今年メニューに加えた中東料理のファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)入りピタサンドは人気メニューとなり、ピタパンを一回に焼く量も最初作っていたのから倍量に増やしました。意を決して購入したキッチンエイドの業務用ミキサーがフル回転しです。

 

ベジタリアン/ヴィーガンや豚肉を使わないレストラン(欧州人のイスラム教徒2世、3世の方々の多くは、東南アジアの厳格なイスラム教徒と違い「ハラル」認証までは要求しません。「No pork or lard used/豚肉、ラード使っていません」で十分)はまだまだ日本では少なく、沖縄の離島ではもちろん、東京や大阪などの大都会でもけっこう食事に不自由しているようです。

 

インバウンドの観光客を「アジア」や「ヨーロッパ」「北米」などという括りでみていると、このような一見マイノリティではあるけれど、じわじわと数が増えている人々のことが見逃されがち。しかし、「また日本に来たい」と思っていただくためには、食のおもてなしは不可欠。爆買いが一巡した後、このようなお客様たちにリピーターとなっていただくためには、ほんの少しのメニューや食材の工夫でも効果があるのではないかと思います。

プロと趣味の違いを再考してみた。

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6月後半、石垣島で夏の間だけ開店している私のカフェに、カナダから夫の従姉家族が訪ねてきてくれた。シンガポールに里帰りする途中とはいえ、はるばる離島までやってきてくれたのであるから最大限の歓待をしようと考えていた。

 

しかし…。

 

到着するや否や、いろいろな料理にトライするのが趣味の従姉と「将来はカフェか雑貨店を開業したい」と仲の良い友人と話しているという20代の娘は、「一緒に料理するのを楽しみにしてきた」とはしゃぐ。

 

その従姉たちに私がきっぱりと返したのは、「絶対にキッチンには入らないで下さい」の一言だった。

 

夏季限定営業で一人で回している小さなカフェで、私自身もまだまだ駆け出しの料理人ではあるものの、曲がりなりにも料理を供してお客様からお金をいただいているれっきとしたプロである。大切なお客様に素人が作った料理など間違ってもお出しできない。

 

ましてやここは亜熱帯の沖縄。食材の扱いを間違えたり、何かの拍子に菌が入ってしまったりして食中毒でも引き起こそうものなら商売終了なので、きちんと衛生管理教育を受けた人でなければキッチンやトイレの掃除一つたりと任せることはできない。

 

日本ではそれほど厳しくないが、シンガポールの厨房では、2日間の衛生安全管理講習を受けて試験をパスした人以外は厨房への立ち入りは厳禁。もちろん髪が料理に入らないように厨房の中では常に頭をすっぽり包むヘアバンドは欠かさないし、雑菌が入らないように爪はいつも深爪ぎりぎりまで切りそろえていて、厨房の外に出るたびに手洗いは欠かさない。

 

ということを伝えたのだが、いま一つ通じていないこともあったようで、その後も「私の知ってるレシピ教えてあげる」とか「これはとっても美味しいけどどうやって作るの?」とか言われるたびに私はどんどん不機嫌になってしまった。

 

冗談めかして「調理技術(Culinarly Arts)」と「料理(Cooking)」は違うのよ、私の料理が美味しいのは当たり前。学費を払って調理師学校で調理の基礎を習って、その後もいろいろな店で修業しているし。何よりこれでお客様にお金を払っていただいているのだから、と何度か言ってみたりはしたが、どうもうまく伝わらない。

 

それは相手が素人で、しかも「料理が趣味」で「得意である」と自負しているせいだ。私の調理は彼女にとってはその延長でしかない。

 

しかし、それは違う。

 

写真はカフェのディナー・メニューの地元産マグロの野菜マリネ。彼女がドレッシングが美味しいと絶賛してくれたもの。

 

新鮮なマグロが美味しいのは当たり前だが、ドレッシングは調理師学校で底意地の悪いスイス人シェフが作っているのを見て技術を盗んだもの。

 

酢と油を乳化させるのがコツで、野菜との和え方にも方法があるのだが、こんな面倒なことは家庭料理では絶対にしない。「何が違うの?」と聞かれたので使っているお酢を教えてあげたら買って帰ったようだけれど、そのお酢を使っても決して同じ味にはならない。根本的に作り方が違うのだ。

 

それ以外にも、ハーブの切り方は修業した高慢なイタリア人シェフのレストランで、洗った後の野菜の水切りと切り方は、厨房で大音響の中国語の歌謡曲をかけながら仕事をするマレーシア人シェフの仕切るタイレストランで覚えた。

 

ひたすらローズマリーをちぎったり、パルメザンチーズを擦りおろしたり、ゴミ袋一杯くらいの葉物野菜をカットしたり、20㎏の鶏肉をマリネしたり、蒸し魚料理用の魚のウロコ取りを毎日50匹以上したりした結果が、まだまだ半人前の料理人である現在の私がこの2年ほどで身につけた「調理技術」である。

 

それらの技術は、30年以上料理が好きでいろいろな料理をしてきたそれまでの私の「料理」とは根本的に異なっている。それは、自分や家族に無償で食べさせるためではなく、作った商品を値段をつけて売るための技術だからだ。

 

ある大卒日本人スター・シェフが「調理の世界では覚えなければならない技術が2万くらいある。だから大学卒業してからのスタートは遅すぎた。それがわかってひたすらいろいろなレストランで修業した」と語っているのを読んだことがあるが、その通りだと感じる。私がこれまでに習得したのはまだその半分にも遠く及ばない。

 

趣味で料理を作っていた頃は、私も「一度食べたたいていの料理は再現できる」と自惚れていたが、とんでもない間違いだった。プロの世界はそんなに甘くない。深く反省する次第である。

 

50歳半ばになって10代、20代の若者たちに交じり、体力の必要な調理という技術を一緒に勉強したり修行したりするのは正直なところラクではないが、その技術を使ってプロとして少しずつ進歩している自分自身を感じるのは楽しい。

 

天真爛漫な夫の従姉が帰って「少し強く言い過ぎたかな?」とちょっと気の毒になったが、彼女が私の作ったものを食べて「やっぱりプロって違うな」と感じてもらえたら良かったなと思う。

 

まだまだ私のプロ修行は続くのであった。 

バナナ豊作

相変わらず掃除に励んでいます。

 

本日は庭師のTさんからお借りしたケルヒャーの高圧洗浄機で外回りを掃除していたらはまってしまい、あちこち蚊にさされつつ4時間近く洗浄し続けてしまいました。

 

これはいい! 劇的に汚れが落ちます。自分でも買いたいなーと思いつつあります。

 

今年の庭は去年よりだいぶジャングル化して立派に、中でも庭の中央にあるバナナの樹に4本も実がなっていて豊作です。昨年は7月の台風で倒れてまだ大きくなりつつあった実がならずに1本しか収穫できませんでしたが、今年はすでに2本が収穫できるところまで大きくなっています。

 

楽しみ!

 

ここの庭にもともと植えられていたバナナの樹には、食べられるものと食べられないものがあり、この2年ほど、少しずつ食べられないのを切って食べられるものを増やしつつあります。全部切ってしまわないのは、食べられないバナナのほうが葉が大きくて皿に敷いたり料理に使ったりするときに使いやすいため。もともと地元の方々はこの葉を祭礼用に使っていたそうです。

 

そういえば芭蕉布の着物もバナナの樹。地元の方々はバナナを「芭蕉」と呼ぶので、この樹の幹から繊維を取っていたものかもしれません。

 

私はどちらかというと着るより食べる方に興味があるので、実が収穫できるようになる前に、とりあえずバナナの花を食べたいと思います。

石垣島のヤギ

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昨日石垣島に着いてから、ひたすら掃除に励んでいます。2拠点生活で一番大変なのがこれ。つくづく若いうちしかできないなーと思います。毎週のように行ったり来たりを繰り返し、これやっている人はすごいな。ただただ尊敬。

 

合間にちょっと休んで食糧調達。車で10分ほどのところにある商店に行く途中で、子ヤギに出会いました。親と一緒に軽トラで連れてこられて放牧中。でも子供なので、食べるより好奇心が先に立つようで、あたりをウロウロしてました。

 

見ればみるほどヤギの顔ってヘンです。

シンガポールで驚きの自販機が増殖中。

ほんの1,2年前のこと。シンガポールの街角にフレッシュオレンジをそのまま絞ってジュースにしてくれる自販機が登場し、へーっ、と感心していたら、最近はそこここで見かけるようになりました。最初は場所によってまちまちだった価格も、現在は2ドル(約160円)に統一されたようで、ときどき買っている人もみかけます。

 

ちょっと前にテレビで観たのは、シンガポール名物「チリクラブ」の自動販売機(Punggol)。1㎏で60ドル(約4,800円)と自動販売機で買うにしてはかなり高いですが、「これで24時間いつでも売れる」とオーナーは満面の笑みを浮かべていました(その後脱税容疑で逮捕されましたが)。場所もかなり辺鄙ですが、わざわざここに買いに来る人がいるんでしょうね。

 

出てくるまで何の本を買ったのかわからない、本の自動販売機(The Art House)を見たときには「ブラック・ジョークか?」と思いました。売っているのはBooks Actuallyというお洒落雑貨&本屋の草分けのお店。ポップアップでこの場所で本屋もやっているので、閉店中に他のテナントに場所を取られない対策なのかもしれません。

 

その他にもサラダの自動販売機(Suntec City)があったり、カップヌードルや冷凍弁当など自動販売機だけのコーナーのお店が劇場のショッピングモールにできたり(Esplanade)と、何か最近すごいことになってるなーと思っていたら、一昨日はこんなものを見つけてしまいました。

 

世界初の冷凍ノルウェー・サーモン自動販売機(Rochor)。200g5.9ドル(約470円)。スーパーは朝早くから夜遅くまで開いてますし、サーモンは生のも冷凍のも普通に売っています。いったい誰が何のために自動販売機でわざわざサーモンを買うのか…。

 

絶句。

 

この近くには、クレーンでアイスクリームを吊って落とす自販機やクリーニングの自動ロッカー(一応手続きは必要らしい)もありました。うーん。

 

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さすがにシンガポール人もこれって変じゃない? と感じているようですが、地価&人件費高騰の折、まだまだスーパー変な自動販売機の数は増えそうな予感。自動販売機は日本のお家芸かと思っていたのですが、意外と足元から広まりそうです。

住むところに影響される「好きな色」

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石垣に戻る前に何とか完成したいと思っていたフランジパニ(日本ですとプリメリアのほうが一般的な呼び名のようです)の4枚をぎりぎりで描き上げました。

 

 

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最初の絵を描いたときに「なんかパラナカン(マレー半島に住む華人)の色づかい」みたいだなーと自分で思ったのですが、次も無意識にそうなったので最終的にはピンク、ブルー、イエロー、グリーンの代表的なパラナカン色づかいに統一してみました。

 

しかし、いくら私でも日本で暮らしていると(沖縄は除く)、絶対にこういう色づかいの発想にはなりません。基本はこういう感じ。

 

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(こちらのお店から写真お借りしましたhttps://store.shopping.yahoo.co.jp/minoruen/chadougu-240702-1.html) 

 

茶、ベージュ系のアースカラーが基本で、たまに差し色で赤や黄色、ブルーなどの鮮やかな色を入れるくらい。日本に住んでいたらいたって普通です。

 

最近の発見は、アメリカ人好みの色。

 

来月発売予定のKindle Fire7を予約注文したのですが、一緒に注文した純正カバーの色が、

 

黒を除き、トワイライトブルー、セージ、プラム、サンドオレンジと、みんなどこかで聞いたことのあるような色名。どこだったかなー、と思い出してみたら、

 

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20年ほど愛用しているアメリカの普通のおばさん御用達ブランド、L.L.ビーンの色づかいにそっくりでした。

 

ネットショップをのぞくとわかりますが、Kindle Fireカバーの類似色(最近は色名が若干違ってきていますが以前はまんまでした)は売り切れになっているものが多く、人気の高さがわかります。Amazonが選んだのも、最大公約数で売れる色、というところなのでしょう。

 

シンガポールやバリ島などで販売されているオーストラリア人女性デザイナーの服は、だいたい白や黒を基調にして若干彩度にかける原色系の色をごちゃごちゃ使ったものが多いですし、フランス人の選ぶ色はどんな色でも少し黄味がかっているものが多い気がします。

 

マレーシアとインドネシアは文化がとても似ているのですが、同じバティックでもマレーシアの方が色が暗く、インドネシアは明るめになるので、どちらの国のものかは見るとだいたいわかります。

 

昔、香港に住んでいた頃、しばらく経ってから訪ねてきた父に「お前は顔が変わって日本人みたいに見えない。自分の娘じゃないみたいだ」と驚かれたことがあります。人は周囲にいる人の表情をどうもまねる傾向があるようで、この時には香港人の顔つきを身につけていたよう。

 

それと同じで、色の好みも住むところに影響されて、みなだいたい同じような感じになるようです。今度、自分の描くものがどんな色になっていくのか楽しみです。

買って良かった調理器具⑪ ~ チーズスライサー

ごくごく普通のチーズスライサーです。

 

もちろんチーズのスライスにも使ってはいるものの、一番使用頻度の高い用途は…

 

魚のウロコ取り。

 

はがしたウロコをためる小さいキャップつきのウロコ取り専用の道具ももっていますが、シャープでなくキャップが邪魔で小さい魚となるとヒレの近くのウロコが取れないなど、小回りがききません。

 

市場では大きな包丁でしゃりしゃりとウロコ取りをしてくれたりしますが、ウロコの飛び散り方がハンパなく、キッチンの床に落ちると貼りついてなかなか取れないので掃除がたいへん。家庭では実用的でないです。

 

その点、このチーズスライサーは刃の部分の長さがちょうど良く、角度も微妙に調節できるので飛び散りが少なく魚を傷つけることがない。そして、シャープな刃が大きめの魚のウロコでも楽々剥いでくれるのです。

 

ちょっと邪道な使い方をしていることは十分承知していますが、今のところこれに勝る魚のウロコ取り器はありません。

 

調理は魚をうまくさばけるようになって初めて一人前。

 

これからもこのチーズスライサーに活躍してもらって腕を磨きます。

 

 

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変わるライフスタイルと変わる飲食業界

イギリスの有名シェフ、ジェイミー・オリバーが経営するレストラン・チェーンが倒産しました。

 

forbesjapan.com

 

ジェイミーは20代前半でテレビ番組「The Necked Chef」に登場。コック服はおろかエプロンもせずに普通の家のキッチン(と思わせるようなスタジオ)で料理。普通に友人と会話するようにしゃべりながら数々の本格的な西洋料理を手際よく作る彼の腕前と、ゲストに有名人を迎えてもへつらったり媚びたりせず、田舎の一般人と同じ態度で接する飾らない人柄に多くの人々が魅了されてきました。

 

特に彼の肉料理は絶品。私も日本に住んでいた頃はスカパー、シンガポールに移ってからは地元テレビでジェイミーの番組を観てはマネしてよく作りました。「英国料理はまずい」というそれまでの概念が時代遅れとなった理由の一つが、ジェイミー・オリバーの出現だったといっても過言ではないと思います。

 

その結果、この20年間彼のテレビ番組出演は絶えることなく続き、料理本も次々と出版。記事にもあるように、大企業と組んでのキッチン用品販売やレシピ提供などの事業にも進出してきました。特に、レストラン事業は1,300人の従業員を抱える一大ビジネスになっていたそうです。

 

しかし、時代は変わります。

 

私は行ったことがないのですが、シンガポールにもあるJamie's Italianレストランのメニューを見てみたところ、看板メニューらしきジェイミーのイタリアン・バーガーが38.95ドル(日本円で約3,100円)。これにサービス料と消費税がプラスされると3,600円以上に。サラダか前菜をつけて、ワインやデザートをオーダーすれば、一人1万円近くになる計算です。

 

確かに決して安くない金額ですが、素材にこだわる彼のことですから材料にはいいものを使っているでしょうし、ひと昔前だったら、普通のカップルがドレスアップして年に数回、こんなレストランで食事するのも当たり前だったでしょう。

 

しかし、現在はファッションもファストファッションの時代。お金持ちでもH&Mやユニクロを着てIKEAに行くのが当たり前で、見栄をはるためのファッションは下火に。「食」にもこの影響が出てきています。

 

記事でも触れられているように、最近、Delivaroo(デリバルー)というレストランの料理を自宅に宅配するサービスを提供する会社にAmazonが出資して話題になりましたが、ここ数年、この分野が急成長。シンガポールにもDelivarooの他に、Food PandaやGrabFoodなどの会社があり、利用者が年々増えています。

 

昨年、私が中価格帯のレストランで働いていたときには、これらのデリバリーサービスのオーダーが5~10件に1件くらいの割合とその数の多さに驚きました。

 

普通のレストランでは店で食べる場合と価格は同じですが、家賃とサービススタッフの人件費が不要であれば、当然コストは下がりますので飲食店にとっては悪くないサービス。客席数が少ない店でもこのサービスを使えば大きな売り上げを上げることが可能です。

 

また、デリバリー専門レストランであれば、より質の高い料理をよりリーゾナブルな価格で提供できますので、同クラスのレストランと比較して価格的に優位に立つことができるでしょう。

 

しかし、このような消費者の傾向は、単に価格の問題というより、世界的なライフスタイルの変化の結果だと言えます。中価格帯レストランのデリバリーのみならず、高級料理分野においても、シェフが自宅を訪れて料理をしてくれる「プライベート・シェフ」サービスが台頭しつつあるのです(シェフのランクにもよりますが決して安くはありません)。

 

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日本で引きこもりになる人の数が年々増加していたり、アメリカのショッピングモールに閑古鳥が鳴くようになったのと同じく、現在、ヨーロッパやアジアでも同じような現象が起きつつあります。

 

豊かになるにつれ庶民の車の保有台数が激増したシンガポールでも、車を保有するための権利(COE)を買う価格が昨年末には8年ぶりの低水準(価格はオークションで需給バランスにより決まります)。一時持ち直しましたが、昨日のニュースによるとまた大幅に下がっているようです。

 

これは単に景気の問題というより(シンガポール人の給与水準や物価水準は依然として決して低くありません)、車に乗って外出し、ショッピングや外食を楽しむ、というライフスタイル自体が変わっていると考えるほうが自然です。

 

ジェイミーのお店で働いていた従業員の方々にはお気の毒ですが、レストラン・ビジネスは失敗に終わったとはいえ彼のレシピや料理の腕前にはまだまだ多くの需要があるはずですので、これを機会にまた新たなビジネスの方向をみつけて再出発してもらいたいと思います。

 

 

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